佐世保市浦頭・・140万人近い引揚の地(2019年訪問・再編集)
目次
概要
2019年訪問、佐世保市浦頭(うらがしら)。
浦頭引揚記念資料館/佐世保市役所 (sasebo.lg.jp)
この浦頭には、
浦頭引揚記念資料館、浦頭引揚記念平和公園、
記念碑などがあります。
日本は戦争が終わった後、
大陸から多くの方が復員してきました。
佐世保市浦頭では
140万人近い人が引き揚げてきました。
博多も同じくらいの人数だったようです。
復員という戦争の後始末も
かなり大変なことだったこと思います。
戦後の日本の復興の始まりでもあったわけですね。
戦場になったところばかりではなく、
復員のこういう場所を記憶に残していくことも、
必要かと思います。
復員かなわず、
現地で命を落とされた方も多数の、先の戦争です。
そういう方のご冥福もお祈りします。
現在、
この地に九州最大のクルーズ船埠頭ができています。
現地の様子
案内板
引揚第一歩の地 碑
同上 説明板
「太平洋戦争終結に伴い
昭和20年10月14日から同25年7月までに
1396468人の方方が
ここ浦頭の地に引揚げの第一歩を印されました。」
浦頭引揚記念資料館
同 内部
資料館から見下ろす港(浦頭港)
小笠原の例
小笠原のようなところでは、
戦後、内地に復員して行きました。
小笠原は米軍が占領し、
比較的早く内地に帰れました。
ただし、
戦時中、内地に強制疎開させられた島民の帰島は、
欧米系島民のみでした。
帰島で来たのはわずかに129名でした。
(当時の全島民は8000人近かったです)
硫黄島の玉砕もありますが、
返還まで多くの島民が帰島できなかった悲劇もあります。
それも忘れないでいたいものです。
参考
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