「峠(上・中・下)」(司馬遼太郎)
目次
概要
1968年発行、「峠(上・中・下」(司馬遼太郎)。
司馬遼太郎 『峠〔上〕』 | 新潮社 (shinchosha.co.jp)
司馬遼太郎 『峠〔中〕』 | 新潮社 (shinchosha.co.jp)
司馬遼太郎 『峠〔下〕』 | 新潮社 (shinchosha.co.jp)
原作は
2022年「峠 最後のサムライ」で、映画化もされています。
越後という地勢から、
峠を越えて江戸へ出たり、峠での官軍との戦、
負傷して峠を越えていくところどから、
象徴として「峠」というタイトルなのでしょうか?
主人公は
長岡藩の武士、河合継之助(かわいつぎのすけ)。
継之助は
41歳(1827-1868)で亡くなります。
この物語では
1859年、峠を越えて、
2度目の江戸に出るところから始まります。
継之助、すにで32歳。
そして、
最後は北越戦争で撃たれ亡くなるところまで。
わずか、10年にも満たない物語です。
司馬氏の作品は
余談や主人公以外の人物に横道にそれることが多いのも
特徴です。
本書はほとんど継之助に焦点が当たり、
物語がとても分かりやすいです。
著者はこの作品で、侍とは何かということを、
考えてみたかったと書いています。
継之助はサムライだったのです。
河合継之助
継之助は陽明学に傾倒していて、
行動、言動にはっきりと表れています。
さらに、はっきりしているのは
主(藩主)に忠義を尽くすということ。
侍たる所以でしょう。
継之助は
時勢をしっかり見極めていました。
次の世も見えていたのだと思います。
小役人ではなく、
大将になる器の人でした。
実際、藩では家老・執政となりました。
もし脱藩していたら、
坂本龍馬と同様な活躍があったかもしれません。
しかし藩を捨てるという考えは
まったくありませんでした。
彼の人生で、
西郷、大久保、木戸などとの接点があったら、
長岡藩や彼のその後が違っていたかもしれません。
そう考えると、
継之助の生き様が正解かとも言えない気がします。
しかし、彼は侍でした。
その1点に尽きるのでしょうね。
だから彼にとってはこの生き方が正解なのでしょう。
彼は武士の世が終わることもわかっていました。
本当に最後のサムライだったのかもしれません。
僕は
長岡を訪ねてみたくなりました。
参考
司馬遼太郎 | 小笠原マルベリー (ogasawara-mulberry.net)
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