飯盛山・・今・昔(現在と幕末ごろとの比較)
目次
概要
父島には、
飯盛山(めしもりやま)という山がある。
洲崎の南側の浜から、
すぐそばに見える高まりがそれ。
現在は上が平らになっている。
幕末の絵図では、しっかり盛り上がっています。
まさに飯盛(めしもり)山。
僕が島に移住した頃、ここは採石場であった。
当時は、ダンプカーも上がっていた。
採石場跡は真っ平ら。
つまり削られた平らになったわけだ。
小笠原諸島歴史日記によると、
1970年11月に砕石工場が竣工している。
そのころから、
確実に山が削られていたのは間違いない。
(閉鎖時期は未確認・今後要調査)
こうやって、洲崎周辺は、
幕末から見ると、かなり地形が変わっている。
飯盛山
幕末
丸が飯盛山
かなりの高まりとなっている
尖ったような山に描かれている
現在
洲崎の南側から見上げる
平らな山となっている
近景
柱状節理が目立つ
ダンプが通った道の跡
削られた跡
中は平らに
見るには
洲崎までは車で行ける。
南側の浜のすぐわきの山が飯盛山。
かつての上り道がわずかに残る。
上っても、
平らに削られていて、見るべきものはない。
ツアーでは
洲崎に立ち寄った際に紹介する程度。
山に上ることはない。
前の記事へ
次の記事へ