小笠原マルベリー

飯盛山・・今・昔(現在と幕末ごろとの比較)


 

概要

 

父島には、

飯盛山(めしもりやま)という山がある。

 

洲崎の南側の浜から、

すぐそばに見える高まりがそれ。

 

現在は上が平らになっている。

幕末の絵図では、しっかり盛り上がっています。

まさに飯盛(めしもり)山。

 

僕が島に移住した頃、ここは採石場であった。

当時は、ダンプカーも上がっていた。

採石場跡は真っ平ら。

つまり削られた平らになったわけだ。

 

小笠原諸島歴史日記によると、

1970年11月に砕石工場が竣工している。

そのころから、

確実に山が削られていたのは間違いない。

(閉鎖時期は未確認・今後要調査)

 

 

こうやって、洲崎周辺は、

幕末から見ると、かなり地形が変わっている。

 

 

 

 

 

 

飯盛山

 

 

 

幕末

 

 

丸が飯盛山

かなりの高まりとなっている

 

尖ったような山に描かれている

 

 

 

 

現在

 

 

洲崎の南側から見上げる

平らな山となっている

 

近景

柱状節理が目立つ

 

 

ダンプが通った道の跡

 

削られた跡

中は平らに

 

 

 

 

 

見るには

 

 

洲崎までは車で行ける。

南側の浜のすぐわきの山が飯盛山。

 

かつての上り道がわずかに残る。

上っても、

平らに削られていて、見るべきものはない。

 

ツアーでは

洲崎に立ち寄った際に紹介する程度。

山に上ることはない。

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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