小笠原マルベリー

「弔諸英士之霊」碑


 

概要

 

奥村咸臨丸墓地内にある

「弔諸英士之霊」碑。

 

奥村・咸臨丸墓地にある墓や碑

 

きっと何のことだかわからないであろう。

僕もそうだった。

 

この碑に刻まれる文字は、

正面:「弔諸英士之霊」

左:大日本海洋少年団

右:昭和九年十月

 

小笠原諸島歴史日記によると、

「10月28日夕刻 

 南洋方面に遠洋航海の帰途、

 全国海洋少年団代表17名を含む57名乗組の、

 「義勇和爾丸」118トンが二見港に入港し

 翌日出港する。

 奥村墓地内に「弔緒英士之霊」の小碑を

 全団員参列の下に建立する。」

*和爾丸:わにまる

 

「小笠原諸島歴史日記 上・中・下巻」(辻友衛)

 

つまり、

小笠原とは直接は関係のなさそうな碑ではある。

 

ただ建立の意図は、訪問地において、

「海外の士となった我が国先駆者の霊を弔う」

ということである。

 

そのため、

関係はないとは言い切れない。

 

 

 

 

 

航海の経路

 

東京芝浦浦発着。

 

日程は

1934年(昭和9)7月15日から11月3日。

父島寄港は1934/10/28で翌日出港。

 

航海距離は計13000カイリ(24000㎞)。

 

 

 

 

 

義勇和爾丸

 

義勇和爾丸は118総トン、

2檣(しょう・マストのこと)の練習帆船。

少年団日本連盟海洋部所属。

もとは北海道大学所属「おしょろ丸」であった。

 

北海道大学水産学部附属練習船「おしょろ丸Ⅴ世」(2014年・再編集版)

 

 

 

 

 

大日本海洋少年団

 

 

大日本海洋少年団は、

各地の海洋少年団を統合象徴した便宜的な団体のよう。

 

各地の海洋少年団の全国組織が

少年団日本連盟海洋部となる。

 

 

 

 

碑の様子

 

墓地内

前列左奥にある

 

全景

 

正面:「弔諸英士之霊」

 

 

左:大日本海洋少年団

 

右:昭和九年十月

 

 

 

 

訪れるには

 

咸臨丸墓地内にある。

都道夜明道路に入ってすぐの場所。

まちからなら歩いても1.5㎞ほど。

 

各種ツアーでの立ち寄りは可能。

リクエストいただきたい。

 

全ツアーメニュー

 

 

 

参考:小笠原の史跡

 

小笠原・父島の史跡・碑

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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