小笠原マルベリー

「殉死」(司馬遼太郎)


 

 

概要

 

1978年発行、

「殉死」(司馬遼太郎)。

文春文庫『殉死』司馬遼太郎 | 文庫 – 文藝春秋BOOKS 

殉死 (小説) – Wikipedia

 

主人公は乃木希典(のぎまれすけ)。

軍人・乃木の生涯を描く。

乃木希典 – Wikipedia

 

本書は2章立て。

「要塞」で、軍人乃木の経緯をたどる。

「腹を切るということ」で、

殉死に至る経緯をたどる。

 

 

 

 

内容

 

「要塞」で

乃木の指揮官としての作戦・行動などが描かれている。

 

日露戦争のことは

「坂の上の雲」がととても詳しい。

 

「坂の上の雲 全8巻」(司馬遼太郎)

 

「腹を切るということ」で

乃木の精神性に重点がおかれ、殉死の場面までが描かれている。

 

乃木の殉死とは、

明治天皇の崩御にあたってなしたこと。

日付は大葬の日。夫人の静子さんとともに。

殉死 – Wikipedia

 

乃木はもともと1人で殉死するつもりだったようだ。

静子さんは乃木の殉死の意図を知り、

その後の短い時間で彼女も死を決意した。

そのあたりの機微は、

この本でも描ききれていない。

 

 

 

 

 

乃木希典

 

肩書きは、

陸軍大将・伯爵・宮内省御用掛・学習院院長・

軍事参議官など。

肩書きはすごい。

 

乃木は指揮官としては、

それほど評されるものではなかった。

本書では、

無能という表現までなされているぐらいだ。

 

西南戦争では軍旗を奪われている。

日露戦争では旅順攻撃に苦戦、

児玉源太郎に指揮権を奪われてもいる。

 

乃木は陽明学の流れをくみ、

軍人としての精神性については、非常に高いものがあった。

そのあたりの精神性がゆえにか、

明治天皇には愛されていたといわれた。

 

昭和天皇が学習院のころ、乃木が院長だった。

昭和天皇の人格形成には、

大きな影響を及ぼしたのかも知れない。

 

 

 

 

 

殉死

 

殉死は江戸時代には禁じられていた。

殉死 – Wikipedia

 

乃木がなぜその行為を行ったかは、

遺言書の理由に書かれた。

 

「西南戦争で軍旗を奪われたのち、

 死処を得られなかった。

 皇恩の厚きに俗し、優遇をこうむり、

 老いてきた。

 明治天皇の崩御で恐れ入り、覚悟を定めた」

という内容である。

 

乃木は、肩書とは裏腹に、

ずっと不遇感を持っていたようだ。

そのもとは

西南戦争で軍旗を奪われたことであった。

遺書にもあらわれた。

 

 

 

 

 

 

参考

 

乃木坂にある旧乃木邸・乃木神社(’21/9月訪問)

 

司馬 | 小笠原マルベリー (ogasawara-mulberry.net)

 

図書 | 小笠原マルベリー (ogasawara-mulberry.net)

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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