「殉死」(司馬遼太郎)
目次
概要
1978年発行、
「殉死」(司馬遼太郎)。
文春文庫『殉死』司馬遼太郎 | 文庫 – 文藝春秋BOOKS
主人公は乃木希典(のぎまれすけ)。
軍人・乃木の生涯を描く。
本書は2章立て。
「要塞」で、軍人乃木の経緯をたどる。
「腹を切るということ」で、
殉死に至る経緯をたどる。
内容
「要塞」で
乃木の指揮官としての作戦・行動などが描かれている。
日露戦争のことは
「坂の上の雲」がととても詳しい。
「腹を切るということ」で
乃木の精神性に重点がおかれ、殉死の場面までが描かれている。
乃木の殉死とは、
明治天皇の崩御にあたってなしたこと。
日付は大葬の日。夫人の静子さんとともに。
乃木はもともと1人で殉死するつもりだったようだ。
静子さんは乃木の殉死の意図を知り、
その後の短い時間で彼女も死を決意した。
そのあたりの機微は、
この本でも描ききれていない。
乃木希典
肩書きは、
陸軍大将・伯爵・宮内省御用掛・学習院院長・
軍事参議官など。
肩書きはすごい。
乃木は指揮官としては、
それほど評されるものではなかった。
本書では、
無能という表現までなされているぐらいだ。
西南戦争では軍旗を奪われている。
日露戦争では旅順攻撃に苦戦、
児玉源太郎に指揮権を奪われてもいる。
乃木は陽明学の流れをくみ、
軍人としての精神性については、非常に高いものがあった。
そのあたりの精神性がゆえにか、
明治天皇には愛されていたといわれた。
昭和天皇が学習院のころ、乃木が院長だった。
昭和天皇の人格形成には、
大きな影響を及ぼしたのかも知れない。
殉死
殉死は江戸時代には禁じられていた。
乃木がなぜその行為を行ったかは、
遺言書の理由に書かれた。
「西南戦争で軍旗を奪われたのち、
死処を得られなかった。
皇恩の厚きに俗し、優遇をこうむり、
老いてきた。
明治天皇の崩御で恐れ入り、覚悟を定めた」
という内容である。
乃木は、肩書とは裏腹に、
ずっと不遇感を持っていたようだ。
そのもとは
西南戦争で軍旗を奪われたことであった。
遺書にもあらわれた。
参考
司馬 | 小笠原マルベリー (ogasawara-mulberry.net)
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