戦前からある大村隧道と清瀬隧道
目次
概要
父島には、
大村地区と清瀬地区を結ぶ隧道(トンネル)がある。
大村隧道(60m)と清瀬隧道(120m)とで、
2つの隧道が連続して連なる。
着工は、大村が1937年9月着工、翌3月完成、
その後、清瀬はに進み、1939年5月完成とある。
しかし資料によっては
1937年11月清瀬隧道完成との記載もある。
(要調査)
この隧道は特19号国道で、
陸軍の要請により、都が工事をした。
(費用は国負担)
清瀬側には、
陸軍清瀬弾薬庫や海軍奥村重油槽がある。
大村の桟橋からそういった施設をつなぐ道として、
必要があり、掘られたものであろう。
清瀬隧道には、
戦争中に、両側に大きな扉が設置された。
そして、避難・居住壕として利用された。
住民の強制疎開以降は格納庫としても利用された。
片側に今も残る大扉はその名残です。
大扉は
木製だが、外側は鉄で覆われている。
隧道名は、今は改修で消えてしまったが、
東京府知事・舘哲二の揮毫であった。
*舘哲二(たちてつじ)
舘の在職期間は、1937/2/10-1938/6/24。
とすると、
完成はやはり1937年11月説が有力となる。
(要精査)
返還後は都道湾岸通りができて、
この隧道は歩道として使われている。
通学路にもなっている。
現地の様子
大村隧道(60m)
大村側
清瀬側
大村隧道
舘知事の揮毫といわれる
改修により現在は消滅
清瀬隧道(120m)
大村側
大村側入ってすぐのあたり
大扉
大扉内側は木製
大扉外側は鉄
大扉断面 約40㎝厚
清瀬側
隧道名は付着物で判別できない
清瀬側入ってすぐ
清瀬側 内部から外側方面
清瀬隧道横穴
清瀬隧道内部の横穴
内部
都道側の横穴
清瀬隧道の大扉の説明
説明
説明左ページ
説明右ページ
扉について
情報提供者
見るには
まちなかにある隧道(トンネル)
波止場の信号を渡ると、すぐにあるのが大村隧道。
(現在、大村という地名はない・かつては大村)
大村隧道をそのまま通り抜けると、
次が清瀬隧道。
清瀬隧道を通り抜けると、信号があり、
そのあたりから清瀬地区となる。
ツアーで利用することはまずないが、
まれに歴史、戦跡ツアーで紹介する。
参考:父島の隧道
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