小笠原マルベリー

二見海軍燃料貯蔵場(清瀬重油槽)・・整備・公開してほしい戦跡


 

 

概要

 

父島集落には、

大規模な海軍重油槽が残っている。

二見海軍燃料貯蔵場(清瀬重油槽)という。

 

ただし、

残念ながら閉鎖され、公開されていない。

 

ハードルは高いが、

今後、整備・公開を期待する戦跡である。

ある意味、宝の持ち腐れ。

 

国内でも、

これほどのものはわずかしか残っていません。

 

特に地下洞窟式の海軍重油槽は、

国内ではここだけのようだ。

 

海軍重油槽は、

1937年以降に建設されている。

 

もとは二見海軍貯炭場(1917・石炭)から始まる。

のちに二見燃料貯蔵場(1928・重油)となり、

重油槽が建設された。

 

 

*写真は調査などで入ったときのもの。

 

 

 

 

 

現地の様子

 

福祉センターの向かい、小笠原高校のグランド直下に、

大きなステンレスの扉が3つある。

 

残念ながら閉鎖されているが、

これが二見海軍燃料貯蔵場(清瀬重油槽)。

地下洞窟式重油槽が残っているのは、

全国でもここだけであるようだ。

 

 

高校研究紀要13号によると、

ここは国有地から高校に移管されたときに、

用途条件があったようだ。(用具置場?)

 

扉を開けると通路があって、

その先に内容量を示すものがある。

さらにその奥が重油槽です。

1つにつき3000㎥入るので、3つで9000㎥。

 

1つの槽だけ、

壁が壊されて内部に入れるものがある。

 

内部は鉄板で覆われていて、中央部に通風孔がある。

 

 

     

内部構造  小笠原高校研究紀要 13号  95ページ

 

3箇所のステンレス外扉

 

扉があいた状態

 

内部の通路

 

鉄の中扉

 

西通路(左)の奥   内容量を示す

 

同上下部拡大

 

同上位置から上の部分

メモリと梯子が上まで

 

中通路の奥

 

東通路(右)の奥 

壁が破壊されて槽の中に入れる

 

同上 内部入口付近

天井近くまでのびる鉄の円筒

 

 

内部天井部

鉄板でおおわれる

 

内部壁部分

 

 

内部継ぎ目

リベット留め

 

 

 

 

 

 

今後について

 

この2つの施設は

東京都(小笠原支庁、小笠原高校)管理下にある。

 

整備・公開の方向性を出すには、

村民や行政を動かし、まずは再調査が必要。

 

村、支庁、高校の長クラスの理解・賛同も必要。

村議も動いていただく必要もあるかもしれない。

 

その後、安全面での整備をし、

ようやく公開となるのだろう。

公開できれば、

内部を戦跡の資料館という位置づけも可能かも。

 

まずは整備・公開の可能性を探るところから。

 

小笠原は自然資源が豊かで、

世界自然遺産ともなったぐらいなので、

自然資源の保全・保護にはかなり力が入っている。

 

一方、文化資源の保全・保護についての動きは、

ややにぶいと感じている。

前途多難。

 

 

 

 

見るには

 

閉鎖されているので、内部は紹介できないが、

外部の場所は景観や戦跡ツアーで紹介できる。

 

 

戦跡ツアー

 

 

自然景観(島内観光)ツアー

 

 

 

 

 

参考

 

陸軍弾薬庫(清瀬弾薬本庫)・・整備・公開してほしい戦跡

 

小笠原・父島の戦跡

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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