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メルヴィル「白鯨(モビー・ディック)」について(2003年投稿・再編集版)


 

メルヴィル「白鯨(モビー・ディック)」について

(2003年投稿・再編集版)

 

概 要

マッコウクジラに関する文学として代表的なメルヴィル「白鯨」を取りあげ、

作品の解説及びインタープリテーションプログラムへの展開事例を紹介します。

 

<解説文>

マッコウクジラに関する作品は古来からいろいろ出ているが、

文学作品としては白鯨(モビー・ディック)があまりにも有名である。

きっと、大部分の人が思い浮かぶ作品であろう。

しかし、かなりの量の作品ゆえ、実際に読んだことのある人は、

意外と少ないのではないだろうか。

 

白鯨(モビー・ディック)は1850年代に書かれたアメリカの文学作品で、

作者はハーマン・メルヴィル。

当時、アメリカで盛んであった、鯨油を取るための捕鯨船を舞台とした物語である。

航海先は白鯨をもとめて、太平洋のはるか日本沖から南下した赤道付近である。

この作品は、イシュメールという人物が相棒となったクィークェグとともに、

エイハブ船長の捕鯨船・ピークォド号に乗り込んで、長い航海をしながら捕鯨をし、

最後に白鯨を見つけて3日間にわたる追撃までが語られている。


白鯨との対決は日本のはるか南の赤道付近。

白鯨とは凶暴なオスのマッコウクジラで、かつて捕鯨船に捕えられず、

捕鯨船から何人もの犠牲者を出しているほど手強い相手である。

ちなみに、航海の途中では白鯨ではないマッコウクジラとセミクジラを捕獲している。

物語では、イシュメールは作者の代役となる、傍観者的な語り部になっていて、

本来の主人公は船長のエイハブとモビー・ディックである。

実際の対決の部分は、作品の最後の方にわずかに描写されているの過ぎず、

大部分は作者が体験した当時の捕鯨に関する描写や、

当時知られていた鯨の知識や伝説・物語などがイシュメールを通して語られている。

したがって、物語の面白さに加え、

当時の鯨や捕鯨に関する知識の集大成としての見方もできる。 

今はホエールウォッチングが盛んであるが、

作者の経験はもっぱらホエーリングウォッチングであったのだ。

もしIWCの捕鯨禁止という状況でなければ、

小笠原では現在ホエーリングウォッチングができているかもしれない。


作品の根底に流れているのは、エイハブ船長の白鯨に対する執念で、

対決部分はわずかとはいえ、随所に白鯨のことが語られ、

他船と出合ったときに交わす会話、自船の乗組員との会話、

船長の行動などによく現されている。

執念を燃やす理由としては、エイハブ船長が以前の航海で白鯨に出会い、

捕鯨を試み失敗し、片足をなくしたことへの敵討ちである。


また、作者のキリスト教の影響も大きく、作品の中でも、

登場人物の名前や色々な引用に聖書からのものが多く見られる。

したがって、クリスチャンではない日本人からすると、理解しにくく、

つい流し読みしてしまいたくなる部分もある。


この作品と小笠原は直接は関係はないが、

間接的に、捕鯨船の母港と最初の定住者の出身地との関連、

小笠原の開拓期と作品の時代背景、捕鯨場所、捕鯨船の航路などで関係しているので、

小笠原の歴史や人文的な理解への助けになるであろう。

さらには小笠原の近代捕鯨にまで結びつけることも可能である。

 

<インタープリテーションプログラム>

 

・テーマ

白鯨(メルヴィル作)と開拓期の小笠原

・事前準備

ビジターセンターの歴史コーナーを利用

波止場付近のペリー来島記念碑

「白鯨」に関する要約文あるいは概略説明

・働きかけ・体験行為

最初の定住者の意図や出身地について

ペリーの遠征目的

当時の日本の対応について

ジョン万次郎の人生について

・発見・興味

白鯨の捕鯨船の母港はアメリカ東部のナンタケット。

小笠原近海は当時ジャパングラウンドと呼ばれ、捕鯨場所であった。

作品がかかれた時代1850年代。  

・体験行為に関する解説

白鯨の捕鯨船の母港はアメリカ東部のナンタケット。

  最初の定住者の1人、ナサニエル・セーボレーはマサチューセッツ州出身。

  セーボレーらの移住目的からして、捕鯨とは無縁の人ではないであろう。


小笠原近海は当時ジャパングラウンドと呼ばれ、捕鯨場所であった。

  ペリーの遠征目的は、捕鯨船が日本に寄港して、

  薪炭や薪炭や食料、避難場所として活用するため。

  小笠原への定住目的は捕鯨船への薪炭、食料や飲料水供給目的。

  作品の捕鯨航路とペリー航路は近い。


作品がかかれた時代1850年代

  最初の定住1830年やペリー寄港1853年と近い。

  日本が咸臨丸で小笠原に派遣したのは1861年。

・発展的な解説

小笠原にはペリーや咸臨丸、ジョン万次郎などが来ている。

日本はペリーからの報告で、小笠原開拓の事実を知った。

小笠原を日本を回収するため、咸臨丸を派遣。

ジョン万次郎は土佐から鳥島に漂流し、捕鯨船でアメリカに渡り、その後日本に帰国。

幕府の咸臨丸で、通訳として来島。さらに、捕鯨のため、小笠原に訪れた。

近代捕鯨として、滝之浦や母島・東港などが利用された。

 

<参考文献>

メルヴィル「白鯨」新潮社ほか数社

https://www.shinchosha.co.jp/book/203201/

小笠原ゆかりの人々 田端道夫著 文献出版社

 

 

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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