「漂巽紀畧 全現代語訳」(河田小龍・記、ジョン万次郎・述)
目次
「漂巽紀畧 全現代語訳」(河田小龍・記、ジョン万次郎・述)
概要
2018年12月発行、「漂巽紀畧 全現代語訳」
タイトルの読みは「ひょうそん きりゃく」、
このように読める人はかなり少ないかと思います。
意味は「巽の方角に漂流した記録のあらまし」のようです。
簡単にいうと、ジョン万次郎の漂流記録です。
ジョン万次郎が高知に帰国したときに、河田小龍が聞き取りまとめたものです。
河田は画家であったので、イラストも豊富に含まれています。
「漂巽紀畧」として土佐藩主に献上したのが1852年(嘉永5年)です。
万次郎は14才から10年間、鳥島を経て外国で暮らしていました。
帰国時はまだ24才だったのですね。
当時、本書で、万次郎の足跡が知られていったのでしょう。
日本に戻るまでの間、万次郎は捕鯨船だけでなく、
桶職人の修行、金鉱山採掘なども関わっています。
世界やアメリカをかなりアクティブに動いています。
万次郎の足跡についてはすでによく知られていますので、
本文では特筆すべきことはさほどありません。
小笠原がらみでいうと、
1847年4月にフランクリン号で小笠原に来たことが記載されています。
別な項で、漂流中に「アカバ(アカハタ)」を食べたことが書かれています。
ジョン万次郎という名称
もともと漁師の万次郎には名字はありませんでした。
日本に戻るまではジョン・マン(JOHN MAUNG)と呼べれていました。
帰国後は中浜万次郎となり、ジョン万次郎という名称は使っていません。
ジョン万次郎と使ったのは、
井伏鱒二の小説「ジョン万次郎漂流記」(1937)が最初だそうです。
万次郎その他
万次郎は何度か小笠原に来島しています。
それをまとめたのが下記のブログです。
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