小笠原マルベリー

陸軍弾薬庫(清瀬弾薬本庫)・・整備・公開してほしい戦跡


 

 

概要

 

父島集落には、

陸軍弾薬庫(清瀬弾薬本庫)が残る。

 

ただし、

残念ながら閉鎖され、公開されていない。

 

ハードルは高いが、

今後、整備・公開を期待する戦跡。

ある意味、宝の持ち腐れ。

 

国内でも

これほどのものはわずかしか残っていない。

陸軍弾薬庫は

奄美大島瀬戸内他にもわずかにあるよう。

奄美大島は整備・公開されている。

 

陸軍弾薬庫比較・・奄美大島瀬戸内と小笠原父島

 

名古屋陸軍補給廠関ケ原分廠・玉の火薬庫(’21/5月訪問)

 

陸軍弾薬庫は、

1927年から着工、1943年頃には完成していたよう。

 

*写真は調査などで入ったときのもの。

 

 

 

 

 

弾薬庫の様子

 

 

現在、閉鎖されている3つの清瀬弾薬庫。

1号庫は独立、

3号庫と2号庫は横通路でつながっている。

(それぞれ外部扉もあります。)

 

いずれも外部扉からは通路があり、

その内部に外庫と内庫の二重構造となっている。

 

 

米軍占領下、

ポラリスミサイルの核弾頭が保管されていたとの情報もある。

同志社大学学術リポジトリ (nii.ac.jp)

012000500003

 

「核密約から沖縄問題へ  小笠原返還の政治史」 ( 真崎翔)

 

 

 

図面  小笠原高校研究紀要13号 84ページ

 

3号庫内庫  

内庫は幅5mほど、奥行25mほどあり、

銅板が貼られている

3号庫は清涼弾薬庫といわれている

内庫は2重扉となっている

 

内庫 二重扉(内側)

 

内庫 二重扉(外扉)

 

同扉 外側から

 

内庫の外壁

 

通路を経て外部扉

 

 

 

 

 

今後について

 

この2つの施設は

東京都(小笠原支庁、小笠原高校)管理下にある。

 

整備・公開の方向性を出すには、

村民や行政を動かし、まずは再調査が必要。

村、支庁、高校の長クラスの理解・賛同も必要。

村議にも動いていただく必要があるかもしれない。

 

その後、安全面での整備をし、ようやく公開となる。

公開できれば、

内部を戦跡の資料館という位置づけも可能かもしれない。

 

まずは整備・公開の可能性を探るところから。

 

小笠原は自然資源が豊かで、世界自然遺産ともなったぐらいで、

自然資源の保全・保護にはかなり力が入っている。

 

一方、文化資源の保全・保護についての動きは、

ややにぶいと感じています。

 

前途多難。

 

 

 

 

 

見るには

 

閉鎖されているので、内部は紹介できない。

外部の場所は景観や戦跡ツアーで紹介できる。

 

戦跡ツアー

 

 

自然景観(島内観光)ツアー

 

 

 

 

 

参考

 

小笠原・父島の戦跡

 

二見海軍燃料貯蔵場(清瀬重油槽)・・整備・公開してほしい戦跡

メールでのお問い合わせはこちら

メールでのお問い合わせ

マルベリーでは、山歩き(千尋岩)、森歩き、戦跡ツアー、スター&ナイトツアー、サンセット・ナイト、歴史ツアーなどを開催しております。

    は必須項目です。必ずご記入ください。

    お名前

    ふりがな

    メールアドレス

    ご住所


    お電話番号

    お問合せ内容

    個人情報の取り扱い

    個人情報保護方針に同意し、送信する

    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

    この著者の記事一覧

    コメントは受け付けていません。


    関連記事RELATED ARTICLE

    PAGE TOP