小笠原マルベリー

「忍耐起業 出世之鏡」


 

「忍耐起業 出世之鏡」

 

概要

 

「ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!」で出てきた田中鶴吉。

 

「 日本人のおなまえっ!」登場の田中鶴吉は小笠原にも住んでいた

 

「出世之鏡」は田中鶴吉の実伝となる書です。

そこでは「東洋の小ロビンソ-クルーソー」と称されています。

 

ネットで調べると、「出世之鏡」はデータ化されていました。

出世之鏡 : 忍耐起業 – 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

 

またその書がオークションでも出ていたので、入札したら、落札できました。

誰も興味がないのか、3000円ぐらいでした。

 

それがこれです。

 

 

「出世之鏡」

 

表紙

 

明治20年9月出版です。

本文は全46ページです。小冊子という感じです。

紙は薄い藁半紙のようです。

 

緒言によると、

田中の実伝は時事新報の記者が20回に分けてまとめたものです。

 

もとは記者が

明治18年に小笠原に滞在した某参謀大尉が田中から話しを聞いたもので、

さらに東京の関係者からも聞き取りをし、まとめたものです。

 

全20回のうち、11回目ぐらいから小笠原がらみとなります。

 

文章は明治期の文章なの文語体でやや読みにくいですが、

少し根気強く読めば大丈夫です。

 

 

 

田中について

 

田中が小笠原に住んでいたのは

1881年(明治14年)9月から1886年(明治19年)頃まで。

 

最初は嫁島にわたり放牧を始めました。

のちに聟島列島の聟島・媒島に、さらに母島列島の属島(姉・妹・姪島)にも、

放牧を広げていきました。

 

製塩については、断片的な記録がある程度で、

1885年に父島洲崎(飯盛山側のふもと)で、製塩試験所を開設したようです。

台風などもあり、うまくはいかなった模様。

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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