小笠原に来なくてはいけない理由、その37「小笠原の住民には3つの区分がある」
目次
概要
小笠原は、
継続した人の定住は1830年から。
1830年6月26日、
ハワイから白人と現地の人と20数人でたどり着き、
住みついたのが始まりです。
(それ以前も、短期間の生活はありましたが、
継続した定住はここからです)
1876年以降は
伊豆諸島などの国内から、日本人の移住も始まりました。
戦時中は、
1944年強制疎開で、全島民が内地に引き揚げとなりました。
米軍占領下は
欧米系島民だけ帰島が許されました。
返還後は、旧島民およびその子孫が戻ったり、
新たに住みつく島民や異動での公務員もあります。
そういった経緯の下、
返還後は、住民の区分は3つあります。
在来(欧米系)島民、旧島民、新島民の3区分です。
Microsoft Word – 03-特集_中山 (hokudai.ac.jp)
3つの区分
どういうことかというと・・
在来島民は
1830年以降に外国から住みついた家系の子孫。
旧島民は
1876年以降国内から移住した日本人の子孫。
新島民は
返還後に、小笠原に新規に住みついた人と子孫。
ここには、分類上、異動の公務員も含まれます。
ちなみに僕は
小笠原には縁がなく、1992年から住み始めた新島民です。
ただし、返還後50年以上も経ると、
在来島民、旧島民も子孫の時代になっています。
区分もあまり意識しなくなりつつありますね。
都営住宅の入居区分
返還後、
しばらくは旧島民の帰島促進も大事な施策でした
都が建設した都営住宅の入居の基準(順序)も
その原則に基づいていました。
新島民は入居基準が一番最後です。
まずは3年程度住んでいるというのが、
最低基準のようになっていたと思います。
我が家は幸い申し込んだ最初の年に、
抽選に当たり、すぐ入れました。
以後、ずっと都営住宅住まいです。
東京都小笠原住宅の住まいのしおり (tokyo.lg.jp)
小笠原の歴史・・参考図書
参考「小笠原に来なくてはいけない理由」
小笠原ならではのこと、ナンバー1、オンリー1のことを集めてみました。
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