小笠原マルベリー

東京府小笠島出張所初代所長・藤森図髙:墓と碑


 

東京府初代小笠原島出張所長・藤森図髙:墓と碑

 

概要

 

小笠原は

1876年(明治9年)から明治政府内務省直轄でした。

藤森氏ははじめ、

明治政府の役人として小笠原に赴任していました。

 

東京府に移管されたのは、4年後の1880年(明治13年)11月。

東京府小笠原島出張所が設置され、

初代の所長がこの藤森圖高(藤森図高)氏でした。

(旧字体の圖は、現在は図で表記しています)

 

読みは「ふじもり とこう」です。

名前は音読みですが、

訓読みがあるかもしれませんが、まったく知られていません。

 

藤森氏は、

残念ながら、翌1881年6月、亡くなってしまいました。

享年36才の若さでした。

小笠原嶋日誌-web版公文書館の書庫から (tokyo.lg.jp)

 

東京府の所長はわずか半年ほど期間でしたが、

明治政府の役人の期間も含めると、5年近くになるので、

多くの功績があったかと思います

 

藤森氏の墓は父島奥村の咸臨丸墓地にあります。

 

また顕彰碑が、

扇浦の「開拓小笠原島之碑」の近くに建てられています。

(碑の場所はわかりにくいです。)

 

顕彰碑は篆額が田辺太一、撰文・書は小花作助です。

 

「幕末外国奉行 田辺太一」(尾辻紀子)

 

 

 

 

墓について

 

概略

 

奥村咸臨丸墓地にある藤森図高之墓。

 

咸臨丸墓地は、返還後、

雨水対策でかさ上げした場所に、墓がまとめて設置されています。

 

明治14年(1881年)6月18日、享年36歳。

病死だったようです。

死因に直接言及しているものはなく、肺炎を併発というのはありました。

 

若くして亡くなりましたが、子を残しており、

現在も子孫の方がいらっしゃいます。

 

 

 

現地の様子

 

咸臨丸墓地 左手前が藤森氏墓

 

「藤森図高之墓」  (図は旧字の圖)

 

墓の左側面 「明治14年6月18日逝」

 

 

 

 

顕彰碑について

 

概略

 

扇浦にある藤森圖高之碑。

 

場所はわかりにくい状態です。

道もついてはいますが、雑草などがしげる状態。

知る人ぞ知る状態。

これでは訪れる人もあまりいないでしょうね。

碑の面もはがれている箇所があります。

藤森氏ははじめ明治政府の役人として赴任していました。

それゆえ、明治政府の小笠原開拓にかかわった

田辺太一が篆額、小花作助が撰文・書なのですね。

 

 

碑文の内容要約

 

名は図高。家は代々南部藩家臣。

盛岡藩 – Wikipedia

明治維新後、上京。

華頂宮博経親王に随行してアメリカ留学、のち帰国。

華頂宮博経親王 – Wikipedia

 

明治9年(1876)内務省から小笠原島に赴任、判事補も兼任。

明治13年(1880)東京府小笠原島初代出張所長。

明治14年(1881)6月、病気で亡くなる。

 

生まれは弘化元年(1844)12月19日。

享年は36才。父島の奧村に埋葬。

男の子がいて跡を継いだ。

 

人柄はあっさりして欲がなく、正義には断行する人であった。

小笠原に初めて来たときは、住むところもないような状況だったが、

嫌なことを避けようともせず、ぶつかっていった。

自ら、現場に出て、指導したりもした。

 

藤森君が重体になったとき、身代りになってというものあった。

人心を得ていたというのはこのことでもわかる。

 

葬式が終わってから、島民たちが相談して、

石碑を建てようということになった。

小花作助(この書を書いた人)は最初からの仲間だから、

碑文を書くよう請われ、彼の行跡を書いた。

彼をたたえる詩も作る。(詩文は省略)

 

 

 

 

 

現地の様子

 

藤森図高之碑  全景

 

碑文面拡大  上部1/3ほどがはがれています

 

「明治16年11月建」

 

篆額部分

 

篆・田辺太一  撰(撰文)ならびに書・小花作助

 

 

 

見るには?ツアーでは?

 

墓は咸臨丸墓地に、顕彰碑は扇浦の扇浦園地のすぐ裏手にあります。

ただし、顕彰碑の場所はわかりにくいです。

 

墓は咸臨丸墓地にあるので、

歴史ツアーあるいは景観ツアーで訪れます。

顕彰碑はほとんど行きません。

人があまり行かないので、道が藪になっている時期があります。

 

いずれも見たい方はリクエストして下さい。

自然景観(島内観光)ツアー

 

歴史・史跡ツアー

 

 

 

 

小笠原支庁へのお願い

 

扇浦の顕彰碑は、あまり知られていないのもあり、

ほとんど人が行きません。

そのため、道があるとはいえ、すぐやぶのようになります。

 

藤森氏は現在でいえば小笠原支庁長にあたる人です。

 

この碑は、

小笠原支庁の管理下において、きちんと整備してほしいと思います。

大大大先輩として。

この記事を書いた人

吉井 信秋

大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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