製氷海岸の由来となったニチレイ製氷工場跡
目次
製氷海岸の由来となったニチレイ製氷工場跡
概要
奥村にある小笠原海洋センター。
そのあたりの海岸は製氷海岸と言われています。
なぜかというと、
この付近には、かつて製氷工場があったからです。
1923年(大正12年)、日東製氷の製氷工場ができました。
(日東製氷はのち合併し、大日本製氷に)
(戦後はニチレイに)
<第5回> 氷と暮らしの物語 製氷業界を再編した和合英太郎|ニチレイ
ニチレイ 沿革スペシャルサイト ニチレイヒストリーロード |
水源は、
すぐ裏手の屏風谷下の池からだったようです。
返還後、製氷工場は使われることなく、
長らく廃墟として残っていました。
コンクリート造りで2階建てのかなり大きな建物でした。
夜明山海軍通信隊の建物ぐらいです。
取り壊されたのは2009年です。
その後、敷地は芝生を植え整備されました。
そこに製氷工場跡のレリーフが残っています。
社有資産の活用による貢献 | 株式会社ニチレイ (nichirei.co.jp)
この記事は、写真を整理中に、
この建物の写真を見つけたので書きました。
跡地の様子
建物跡は芝生に
レリーフは片隅に
レリーフ拡大
壊す前の建物
全景
近景
近景
見るには?
建物は現存しませんが、レリーフがあります。
思いをはせることぐらいしかできません。
レリーフは海洋センターに隣接するので、
景観ツアー、各種一日ツアーのあとなどで立ち寄ることは可能です。
リクエストして下さい。
前の記事へ
次の記事へ