昭和天皇「行幸記念碑」(修復・再建)
目次
昭和天皇「行幸記念碑」(修復・再建)
概要
令和ともなると、
若い人には昭和天皇は実感のない人。
僕は昭和37年(1962)生まれですから、
ちゃんと実感があります。
(直接目の前で見たことはないですが・・)
ちなみに昭和天皇の行幸は戦前です。
昭和2年(1927)7月30日から8月1日にかけて。
島までの御召還は戦艦「山城」でした。
小笠原他、奄美大島、佐伯湾なども視察されました。
この3地域はいずれも、
要塞(父島要塞、奄美大島要塞、豊予要塞)地域でした。
碑の場所は、当時、大村尋常高等小学校があり、
そこを訪問されています。
記念碑は、戦禍で碑の下半分がなくなり、
元のように下半分を作り直したものです。
行幸先概要
7/30:父島
大村尋常高等小学校(現お祭り広場)、
父島要塞司令部(現・西町)、
小笠原支庁(現在地と同じ)で物産見学、
ウミガメ畜養場見学(現・二見岸壁付近)、
父島清瀬無線電信所(現・釣浜口駐車場付近)、
二見岩(現存)、扇浦開拓記念碑(現存)、
連樹谷(現・連珠ダム付近)、洲崎(現存)など
7/31:母島
沖村尋常高等小学校、ロース石山、
南京浜(現・御幸浜)。
8/1小笠原出港。
なお小笠原での宿泊は山城船内。
行幸記念碑修復再建由来文
<由来文概略>
「昭和天皇行幸で
当時の大村尋常高等小学校校庭に建立された。
戦火により破壊、土中に埋まる。
のち出土したが、碑の下部が失われており、
当時の碑文の記録もなかった。
修復再建に際して、
失われた部分の碑文は考証と推測で補った。
父島には行幸記念碑はこの碑のみ。
(母島には3基ある)
再建位置はおおむね旧所である
平成4年(1992) 小笠原支庁」
碑の様子
左・昭和天皇行幸碑、右・上皇上皇后行幸啓碑
全景
下部に修復再建由来文
割れている部分
上部は元のもので、下部が修復再建
裏面
碑文は
「昭和2年7月30日行幸
表題 宮内大臣正二位勲一等一木喜徳郎 謹書 」
位階の記録を見ると、
昭和2年当時は従二位のようです。
もとの建碑は
正二位となった昭和5年以降だったのでしょうか?
(詳細不明)
見るには?
まちなかのお祭り広場にあります。
道路に面した場所にあるのですぐわかると思います。
歴史ツアーでは定番の場所です。
参考