筆塚といわれる「にほへ碑」(1862年ごろ)
目次
筆塚といわれる「にほへ碑」(1862年ごろ)
概要
「にほへ碑(にほへのひ)」は
小笠原村指定有形文化財です。
文化財 | 小笠原村公式サイト (vill.ogasawara.tokyo.jp)
場所は扇浦・納涼山(すずみやま・のうりょうざん)で、
小笠原開拓碑と小笠原新治碑の間にあります。
地面に接する部分は、
セメントが使われている痕跡があります。
新治碑と同様に、もとの場所から移設されたと推定します。
ただ、碑の意図からすると、
もともそれほど目立つ場所には据えていない気もします。
碑の意図は
簡単に言うと、筆塚(筆供養の碑)です。
幕末に開拓団が入植した時に、
役人が子供たちに読み書きを教えたころのものです。
刻まれている名は原又吉。
現地の様子
碑と説明板
説明文
「文久2年(1862年)、
幕府軍艦朝陽丸で
八丈島から移民させた開拓農民30名のうち8名が子どもだった。
幕府役人の原又吉は、
子どもたちに読み書き手習いを教えた。
この碑は、
使い終えた筆を供養するための筆塚として
文久2年の冬に建てられた。
ところが、文久3年(1863年)、
幕府は小笠原島開拓を中断し、
役人や開拓農民も皆引き揚げることになった。
明治期に、再び小笠原島の開拓が始まり、
いつの頃からか分からないが、
倒れていた「にほへ碑」を
村民が建てなおしたという記録がある。
江戸時代末期、短い間だったが、
寺子屋式の教育が小笠原で行われたことを
今に伝える碑である。」
碑全景
表面は「にほへ」
地上部はセメントで張り付けたような痕跡
裏面
久戌之冬(文久2年の冬)
原(原又吉)
碑の上部もセメントで張り付けたような跡がある
見るには?
扇浦海岸からすぐの場所です。
小笠原神社に上る坂の途中にあります。
歴史ツアーでは定番の場所です。
島内観光でも立ち寄ったりします。
参考