「ペリー提督来航記念碑」(1853年来航)
目次
概要
「ペリー提督来航記念碑」は
小笠原村により1996年5月に建立されました。
これは
ニューポート市との友好を記念したものです。
碑には、来航の説明、ペリー肖像レリーフ、
探険隊活動レリーフなどがつけられています。
記念碑の脇には、
いかりのモニュメントも据えられています。
場所は大神山公園コミュニティ広場内で、
波止場からもほど近いです。
記念碑は湾岸通りに面したわかりやすい場所にあります。
アメリカ・ペリー提督は、1853年6月14日上陸、
4日間実踏調査し、6月18日に島を発っています。
ペリーが沖縄や本州を訪れたのはよく知られた話です。
しかし、小笠原も訪れていたというのは
意外と知られていないかもしれません。
アメリカは
小笠原を太平洋航路の中継基地としての役割を考えていました。
そのためペリーはこの島を調査にやってきたのです。
調査のほか、
自治政府樹立支援や用地購入なども行っています。
現地の様子
全景
左側面 いかりのモニュメント
説明板
「西暦1853年6月14日
米国東インド艦隊司令長官・ペリー提督は サスケハナ号に搭乗し、
サプライ号(実際にはサラトガ号)を従え父島二見港に入港した。
来航の主目的は、小笠原を太平洋横断航路の中継基地とすることで、
そのために必要な用地を購入したほか、
「ピール島(父島)植民地政府」を樹立した。
これは、提督が日本開港を求めて浦賀沖に姿を現す約1月前のことである。
提督は、小笠原諸島の第一発見者は日本人であると指摘しており、
このことが後に小笠原諸島が日本領土として定められる要因になった。
本記念碑は、
ペリー提督の来航と提督の生誕地米国ロードアイランド州ニューポート市との
友好を記念して建立したものである。
平成八年五月(1996年) 小笠原村」
レリーフ 調査の様子
この場所は洲崎の海に面してあったとされる巨大な洞窟
ペリー胸像レリーフ
見るには?
この碑は大神山公園コミュニティ広場で、
波止場にほど近いまちなかにあります。
都道に面しているので、わかりやすいです。
歴史ツアーで訪れます。
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