「ナサニエル・セボレーの墓碑」(都指定有形文化財)
目次
「ナサニエル・セボレーの墓碑」(都指定有形文化財)
概要
父島の大根山には
戦前からの旧墓地と返還後の新墓地があります。
旧墓地には、
都指定有形文化財のナサニエル・セボレーの墓もあります。
文化財名は「ナサニエル・セボレーの墓碑」です。
詳細情報 : 東京都文化財情報データベース (tokyo.lg.jp)
文化財 | 小笠原村公式サイト (vill.ogasawara.tokyo.jp)
セボレーはアメリカ生まれで、
1830年から定住した人物の1人です。
1830年が継続した定住の始まりです。
彼の墓のまわりには子孫の墓もあり、
せボレー家の墓となっています。
墓の位置は
道沿いからはわかりにくいところにあります。
近くまで行くと、ようやく説明板が見える程度です。
墓地は誰もが訪れてもいいはずですが、
あまり大勢で行くのもよくないかもしれません。
そのあたりの機微は、
当事者でない僕にはややわからないところです。
ナサニエル・セボレーについて
墓碑の説明板
1830年、ハワイから欧米人5人と現地人の計20数名が、
小笠原に定住をはじめました。
欧米人5人のうち、
1853年ペリー来航のころには、彼だけ島にいました。
(他は島を離れたり、亡くなったり)
そのころには、島でリーダーとなっていました。
墓碑によると、アメリカのブラッドフォード生まれ、
1874年4月10日死去、享年80歳。
彼が島での在命期間、
幕府が一時領有する形をとりましたが、ほとんどが無国籍状態でした。
日本が正式に領有するのは1876年からです。
Nathaniel Savoryの日本語での書き方は複数あります。
現在は
ナサニエル・セボレーあるいはナサニエル・セーボレーが普通です。
なお、
現存する子孫の方の名字は「セーボレー」か「瀬掘」です。
墓碑の日本語訳
ナサニエル・セボレーに捧げる
アメリカ・マサチューセッツ州エセックス群
ブラッドフォードで生誕
そして、この島の最初の入植者(定住者)の1人で、
1874年4月10日、80歳で旅立つ
エセックス郡 (マサチューセッツ州) – Wikipedia
現地の様子
旧大根山墓地
セボレーの墓は奥の下部の方
セボレー家の墓
左奥にナサニエル・セボレーの墓
墓と説明板
墓
見るには?
旧大根山墓地にあります。
集落から徒歩でも15分ほど。
墓地は自由に立ち入りできますが、
説明板がないので、わかりにくいです。
島民がお参りに来ているときは
行動についてご配慮願います。
歴史ツアーで訪れれています。
(場所が狭いので、大人数の時は行きません)
参考:島かるた
え:江戸時代 アメリカ生まれ 島の父
:ナサニエル・セーボレー
説明文:
「1830年、ハワイから欧米人5人と現地人の計20数名が、
小笠原に定住をはじめた。
欧米人5人のうち、1853年ペリー来航のころまでに、
1人だけ生き残り、リーダーとなっていたのが、
ナサニエル・セーボレーである。
墓碑によると、アメリカのブラッドフォード生まれ、
1874年4月10日死去、享年80歳。
彼の墓は、東京都有形民族文化財に指定。」
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