加計呂麻島再訪・戦跡(2)・・木慈小奉安殿・呑之浦他(’21年12月訪問)
目次
概要
’21/12月末、
加計呂麻島(奄美・瀬戸内町)を再訪しました。
前回は戦跡巡りだけだったですが、
今回は観光と戦跡の両方です。
今回、僕が訪ねたかったのは、
伊子茂マモル君、奉安殿、安脚場戦跡などでした。
天気はぐずついていましたが、
結果としては、すべて巡れました。
これで、加計呂麻島は2回訪れ、
主要なところはおおむね見たかと思います。
次なる機会はもうないような気がしています。
なおこのブログは木慈小奉安殿、呑之浦他編です。
木慈小学校はもう廃校ですが、奉安殿は残っています。
呑之浦は再訪です。
待網崎は公園となっていますが、
かつては砲台だった場所です。
瀬戸内町内の遺跡2 – 全国遺跡報告総覧 (nabunken.go.jp)
現地の様子
木慈奉安殿
木慈小(廃校)奉安殿 正面
奉安殿、
加計呂麻島には全部で3つあるそうです
同奉安殿 斜め前方から
木慈小 敷地 耕作地に
呑之浦震洋隊
「第18震洋隊」は大島海峡に配備された震洋隊の一つです。
昭和19年11月に部隊編制され、総員186名でした。
震洋艇は1型52隻が配備されました。
震洋艇壕は12本掘削されました。(奥行20~30m)。
呑之浦震洋隊 艇のレプリカ
説明板
待網崎砲台
「待網崎砲台」は
大島海峡東口(加計呂麻島側)に存在します。
昭和19年に海軍の高角砲台が構築されました。
砲台の他に、
弾薬庫、兵舎、発電所等の軍事施設が構築されました。
一部の施設は公園化されています。
待網崎農村公園案内板
戦跡はわずかに残っている程度のようです。
マップ
説明文
参考
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