小笠原マルベリー

加計呂麻島再訪・戦跡(2)・・木慈小奉安殿・呑之浦他(’21年12月訪問)


 

概要

 

’21/12月末、

加計呂麻島(奄美・瀬戸内町)を再訪しました。

 

前回は戦跡巡りだけだったですが、

今回は観光と戦跡の両方です。

 

加計呂麻島の観光情報サイト 加計呂麻(カケロマ)ウェルカム 

加計呂麻島 – Wikipedia

 

奄美・瀬戸内町加計呂麻島の戦跡(’19年訪問・再編集版)

 

今回、僕が訪ねたかったのは、

伊子茂マモル君、奉安殿、安脚場戦跡などでした。

 

加計呂麻島再訪・戦跡(1)・・安脚場(’21年12月訪問)

 

伊子茂小・中学校を守る「伊子茂マモル君」(加計呂麻島)

 

天気はぐずついていましたが、

結果としては、すべて巡れました。

 

これで、加計呂麻島は2回訪れ、

主要なところはおおむね見たかと思います。

次なる機会はもうないような気がしています。

 

なおこのブログは木慈小奉安殿、呑之浦他編です。

木慈小学校はもう廃校ですが、奉安殿は残っています。

呑之浦は再訪です。

待網崎は公園となっていますが、

かつては砲台だった場所です。

 

瀬戸内町内の遺跡2 – 全国遺跡報告総覧 (nabunken.go.jp)

奄美大島要塞 – Wikipedia

 

現地の様子

 

 

木慈奉安殿

 

奉安殿 – Wikipedia

 

奄美大島瀬戸内町(大島側)の戦跡(’19年訪問・再編集版)

 

石垣島の戦跡(’20年訪問・再編集版)

 

 

木慈小(廃校)奉安殿 正面

 

奉安殿、

加計呂麻島には全部で3つあるそうです

 

同奉安殿  斜め前方から

 

 

木慈小 敷地  耕作地に

 

 

 

 

呑之浦震洋隊

 

「第18震洋隊」は大島海峡に配備された震洋隊の一つです。

昭和19年11月に部隊編制され、総員186名でした。

震洋艇は1型52隻が配備されました。

震洋艇壕は12本掘削されました。(奥行20~30m)。

 

呑之浦震洋隊  艇のレプリカ

 

説明板

 

父島の震洋隊基地3ヵ所

 

 

 

 

待網崎砲台

 

「待網崎砲台」は

大島海峡東口(加計呂麻島側)に存在します。

昭和19年に海軍の高角砲台が構築されました。

砲台の他に、

弾薬庫、兵舎、発電所等の軍事施設が構築されました。

一部の施設は公園化されています。

 

待網崎農村公園案内板

 

戦跡はわずかに残っている程度のようです。

 

マップ

 

説明文

 

 

 

 

参考

 

奄美・瀬戸内町加計呂麻島の戦跡(’19年訪問・再編集版)

 

 

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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