「岩崎亀五郎之墓」(聟島/むこじま)
目次
概要
聟島の中腹の樹林に、
「岩崎亀五郎之墓」があります。
視界は樹林で邪魔されますが、
眼下の海の方(南浜)を向いています。
墓石の下部は
まさにアオウミガメの形となっています。
岩崎氏は明治23年6月6日入島、
昭和13年(1938)9月24日没、享年73歳。
墓は
芦沢信元氏(岩崎氏の知人)書で、
つくったのも芦沢氏のようです。
建立の日付は定かではありませんが、
戦前と思われます。
実際の様子
正面 「岩崎亀五郎之墓」
南浜の方を向きます
基部は四角のコンクリート。
その上に、下から、
円形の台座、アオウウミガメ石像、円柱の墓石です。
裏面 岩崎氏の略歴など
碑銘(旧漢字は現代漢字に変更)
「常陸国那珂湊之人諱(いみな)敬勝字吉甫配市毛氏
明治二十三年六月六日入島
昭和十三年九月二十四日没享年七十三歳
自建之
辱知水戸芦沢信元書 」
碑銘意訳
<全文>
「常陸国那珂湊之人諱(いみな)敬勝字吉甫配市毛氏
明治二十三年六月六日入島
昭和十三年九月二十四日没享年七十三歳
自建之
辱知水戸芦沢信元書 」
<訳文>
「常陸国那珂湊之人諱(いみな)敬勝字吉甫配市毛氏」
茨城県那珂湊出身、
諱(いみな・生前の名<本名>は敬勝、
字(あざな・元服下からの通称)は吉甫、
市毛氏から妻をめとる(配す)
「明治二十三年六月六日入島」
字の通り
「昭和十三年九月二十四日没享年七十三歳」
字の通り
「自建之」
自らこれを建つ(建立)ということです。
没後に建立なので、
芦沢氏に依頼してあったといことでしょうか?
「辱知水戸芦沢信元書」
辱知(知人)水戸の芦沢信元が碑銘を書く。
見るには?
聟島は指定ルートがあるので、
上陸観光は可能です。
2022年時点、
定期的な聟島を訪れるツアーはありません。
不定期でのツアーはごくまれにあるようです。
という状況ですので、
ほぼ見ることはできないと思ってください。
父島には
岩崎氏の足跡はありません。
参考
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