長崎県川棚町魚雷艇訓練所(2019年訪問)
目次
概要
2019年5月、
長崎県川棚町魚雷艇訓練所を訪問。
wartime-ruins_01.pdf (kawatana.jp)
ここは碑文によると、
昭和19年(1944)、臨時魚雷艇訓練所を、
横須賀からこの川棚町小串郷に移したとのこと。
この訓練場では、
桟橋があったころのクレーンの基礎が海中に残る。
浜辺には資料館や碑がある。
ここで訓練した多くの方が特攻で犠牲になった。
死ぬための訓練であったのだ。
むなしい。残念無念。
なお、この日、
同じ川棚町の魚雷発射試験場も訪門した。
現地の様子
クレーンの基礎
周辺地区の説明板
標石「川棚魚雷艇訓練所跡」
「特攻 殉国の碑」
費には亡くなった3511名の名前が刻まれる
<碑文> (改行位置は原文とは異なる)
・・・・
昭和十九年
日々悪化する太平洋戦争の戦局を挽回するため日本海軍は
臨時魚雷艇訓練所を横須賀からこの地長崎県川棚町小串郷に移し
魚雷艇隊の訓練を行った。
魚雷艇は魚雷攻撃を主とする高速艇で
ペリリュー島の攻撃、硫黄島最後の撤収作戦等
太平洋、印度洋において活躍した。
更にこの訓練所は急迫した戦局に処して
全国から自ら志願して集まった数万の若人を訓練して
震洋特別攻撃隊、伏竜特別攻撃隊を編成し、
また回天、蛟竜などの特攻隊員の練成を行った。
震洋特別攻撃隊は爆薬を装着して敵艦に体当りする木造の小型高速艇で
七千隻が西太平洋全域に配備され、
比国コレヒドール島沖で米国艦船四隻を撃破したほか、
沖縄でも最も困難な状況のもとに
敵の厳重なる警戒を突破して特別攻撃を敢行した。
伏竜特別攻撃隊は単身潜水し水中から攻撃する特攻隊で、
この地で訓練に励んだ。
今日焼土から蘇生した日本の復興と平和の姿を見るとき
これひとえに卿等殉国の英霊の加護によるものと我等は景仰する。
ここに戦跡地コレヒドールと沖縄の石を併せて、
ゆかりのこの地に特攻殉国の碑を建立し、
遠く南海の果に若き生命を惜しみなく捧げられた卿等の崇高なる遺業を
とこしえに顕彰する。
昭和42年5月27日 有志一同 元隊員一同
・・・・
史料館内部の展示
特攻艇 震洋
訪問した日は閉館中で見学できず、外部から
参考:他地域の震洋
震洋 | 小笠原マルベリー (ogasawara-mulberry.net)
参考:戦跡
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