小笠原マルベリー

山中に残る日本麦酒鑛泉(鉱泉)瓶


 

概要

 

山中に残る、

日本麦酒鉱泉(鑛泉)の瓶を見つけた。

 

日本麦酒鑛泉 – Wikipedia

1933年 日本麦酒鉱泉株式会社を合併 |  サッポロビール 

日本のビールの歴史年表・1913〜1939|酒・飲料の歴史|

 

戦前に使われていたビール瓶はよく見かけるが、

日本麦酒鉱泉の瓶はまず見ることがない。

 

僕もほとんど初めて認識したぐらいだ。

 

普通は大日本、キリンのどちらかで、

ごくわずかにサクラもある。

 

山中に残るビール瓶、「大日本ビール」「キリンビール」

 

山中に残る「サクラビール」の瓶

 

 

日本麦酒鉱泉は1921年設立だが、

1933年に大日本麦酒と合併している。

わずか10数年の歴史の会社だった。

大日本麦酒 – Wikipedia

 

この会社では、

ユニオンビール、三ツ矢サイダーなどを製造していた。

三ツ矢サイダー – Wikipedia

 

「三ツ矢サイダー」の瓶(日本麦酒鑛泉株式会社製)

 

山中に残る「金線飲料」の瓶

 

 

 

 

瓶の様子

 

 

全形

 

大瓶サイズ

 

 

印字部分 左半分 NIPPON BEER KOSEN CO LTD

 

印字 右半分 NIPPON BEER KOSEN CO LTD

 

 

 

瓶の底

 

Tだろうか?1だろうか?

T なら下の棒がはねないから、逆向きで1かと思う

(要調査)

 

 

 

 

 

 

見るには

 

夜明山のルート沿いにある。

 

夜明山戦跡群

 

このルートは指定ルートのため、

ガイドツアーで行くことになる。

 

戦跡ツアーで紹介できる。

興味のある方はリクエストを。

 

戦跡ツアー

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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