小笠原マルベリー

「父島戦没者慰霊観音」と「海軍第二魚雷艇隊戦没者之碑」


 

 

概要

 

「父島戦没者慰霊観音」と

「海軍第二魚雷艇隊戦没者之碑」は

大根山公園に建立されている。

 

大根山公園・墓地に残る戦跡

 

墓地のすぐ上で、

小笠原村郷心者慰霊碑のすぐわきにある。

 

「小笠原村郷心者慰霊碑」(大根山墓地公園)

 

建立は

「父島戦没者慰霊観音」が1995年、

「海軍第二魚雷艇隊戦没者之碑」が2001年と

時期が異なる。

 

 

慰霊観音は

大西滝次郎夫人が總持寺で入魂したもの。

大西瀧治郎 – Wikipedia

曹洞宗大本山總持寺 (sojiji.jp)

總持寺 – Wikipedia

 

 

海軍第二魚雷艇隊については

情報があまりない。

(今後要調査)

 

 

 

 

 

 

「父島戦没者慰霊観音」

 

 

観音、慰霊碑、碑文が建立

 

慰霊観音

 

 

慰霊碑

 

山側:小笠原諸島四百四十余柱の霊

 

慰霊碑

 

海側:太平洋戦争戦没慰霊碑

 

 

碑文

 

 

碑文の部分拡大

 

父島戦没者慰霊観音

 

太平洋戦争中小笠原諸島周辺に於て

戦没せる二万四千四百四十余柱英霊慰霊のため

父島と母島に建立せる姉妹観音像である。

海軍中将大西滝次郎閣下淑枝(淑恵)夫人が

鶴見総持で入魂し建立。

 

 平成七年三月十四日

第九回慰霊訪島 

      終戦五十年記念

父島海軍戦友会 木村友治

 

(改行位置は原文とは異なる)

(夫人名は一般的には「淑恵」となってるため、

 誤字であろうか?)

(平成7年は1995年)

 

大西瀧治郎 – Wikipedia

 

 

 

 

 

 

 

「海軍第二魚雷艇隊戦没者之碑」

 

 

正面:

 

海軍第二魚雷艇隊戦没者之碑

 

 

右側面:

 

第二次大戦において司令倉橋大尉以下三百名

本土防衛の盾となりて戦火を交え九名の戦友を失う

此処に其の霊を慰め平和を祈念し建立

 

(原文はカタカナ表記)

(改行位置は原文と異なる)

 

 

裏面:

 

平成十三年十月十日 戦友一同

 

 

 

 

 

見るには

 

大根山公園にあり、自由に訪問できる。

まちから徒歩15-20分ほど。

 

ツアーで訪れることもある。

特に、戦跡ツアーではよく訪れる。

 

戦跡ツアー

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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