小笠原マルベリー

「新編 鳥島漂着物語」(小林郁)


 

 

概要

 

2018年8月発行、

「新編 鳥島漂着物語」 (小林郁)

新編 鳥島漂着物語 18世紀庶民の無人島体験|株式会社天夢人 

 

江戸時代、

幾度となく鳥島に漂着した人々の足跡を描く。

鳥島 (八丈支庁) – Wikipedia

気象庁|伊豆鳥島 (jma.go.jp)

 

享保・元文期と天明・寛政期の2部構成。

漂着前後の様子や島での送らし、

内地への帰還とその後の暮らしなどが述べられる。

 

わずかな上陸地点しかないような島に、

漂着した人々は伝馬船などで上陸する。

長期にわたって、暮らした人もいます。

 

彼らは

アホウドリを重要な食料源として暮らす。

アホウドリさえいなければ、

長期間の生活はできなかったであろう。

 

鳥島の発見記録は1675年、

小笠原に探検に来た島谷市左衛門ら。

記録のある最初の漂着上陸記録は1681年。

 

明治時代には

開拓移住を始めたが、噴火で全滅した。

 

鳥島の話ではあるが、

小笠原と縁のある人・船が何度も登場する。

嶋谷市左衛門、宮本善八船、

中浜万次郎(ジョン万次郎)、玉置半右衛門、明治丸など。

 

 

 

 

目次

 

序章洞窟の発見

 

第1章享保・元文期の漂流記

  1ニ形船鹿丸の遭難

  2宮本善八船の小笠原漂流と鳥島漂流民の救出

 

第2章天明・寛政樹の漂流記

  1宝暦から天明にかけての出来事

  2土佐人長平の孤独な生活

  3備前船亀次郎の漂流

  4住吉丸の漂流

  5故国の帰還

 6後日談

 

あとがき

文献一覧

年表

 

 

 

 

 

参考:小笠原関連

 

 

 

宮本善八船関連

 

奥村・漂流者冥福碑(咸臨丸墓地内)

 

 

中浜万次郎

 

小笠原に来なくてはいけない理由、その42「ジョン万次郎が複数回訪れた島だから」

 

 

玉置半右衛門

 

沖縄県北大東島(2013年訪問・再編集)

 

 

「小笠原島ゆかりの人々」(田畑道夫)

 

 

明治丸

 

小笠原とも縁のある東京海洋大学内「明治丸」(’22/10月再訪)

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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