小笠原マルベリー

小花作助夫婦の墓(谷中霊園)


 

 

概要

 

’25/1月、谷中霊園を訪れた。

日暮里駅からほど近い場所にある。

谷中霊園|TOKYO霊園さんぽ

谷中霊園 – Wikipedia

 

その霊園の中には著名人の墓もあり、

マップなどで紹介もされている。

yanaka_map.pdf

 

目的は、

小花作助の墓に参ることであった。

この墓は都の文化財として指定もされている。

小花作助 – Wikipedia

小花作助墓|体験・観光スポット|台東区公式観光情報サイト

 

扇浦海岸レストハウスそばの「小花作助之碑」

 

小花氏は、

幕府、明治政府と2度の小笠原開拓にあたり、

現地実務の責任者であった人。

 

貢献は大きい。

小花作助の墓は

奥様と夫婦で仲良く並んでいる。

駅から歩くとやや離れた乙3エリアにある。

yanaka_map.pdf(33番)

 

 

 

 

 

 

小花夫婦の墓

 

 

墓は乙3-3エリアーにある

 

 

説明板

 

小花夫婦の墓

右・小花作助墓 左・小花作助妻幾子墓

 

 

小花作助墓

 

 

文政12丑年(1829)2月24日生

明治34年(1901)1月11日没

 

 

 

 

番外編

 

 

小花作助の墓を訪ねたあと、

徳川慶喜、渋沢栄一、牧野富太郎の墓なども訪ねた。

 

 

徳川慶喜

 

 

説明板

 

 

墓所の門

 

墓所

右が徳川慶喜。左が夫人

 

 

 

渋沢栄一

 

説明板

 

 

渋沢栄一家墓所

 

 

渋沢栄一墓

 

 

 

 

牧野富太郎

 

 

 

墓地入口の案内

 

 

 

 

 

 

参考:関連図書など

 

 

小笠原・硫黄島関連図書

 

小笠原・父島の史跡・碑

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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