小笠原マルベリー

「明治丸」小笠原来航150周年(1875-2025)


 

概要

 

2025年は、

「明治丸」が小笠原に来航して150年となる。

記念すべき年である。

 

小笠原とも縁のある東京海洋大学内「明治丸」(’22/10月再訪)

 

明治丸 – Wikipedia

明治丸について:東京海洋大学 

重要文化財 明治丸 国立大学法人 東京海洋大学 海洋工学部

 

明治丸は、重要文化財で、

日本に現存する唯一の鉄船。

明治丸 文化遺産オンライン (nii.ac.jp)

 

明治丸は

東京海洋大学越中島キャンパス内に保存されている。

越中島キャンパス:東京海洋大学 

 

 

150周年という記念すべき年でもあるので、

’25/1月再訪した。

 

現地で聞いてみたが、

150周年のイベントは特にないそうだ。

予算もないと言っていた。

 

一方、小笠原村はどうかというと、

こちらも特にはなさそうだ。

 

小笠原にとって明治丸は貢献が大きい。

この船のおかげで、

明治政府による領有が確立できたといっても過言ではない。

 

記念の行事があってもおかしくはないのだけど・・・

今後の動きに期待する。

 

 

 

 

 

小笠原との関係性

 

明治丸が小笠原に来航したのは、

1875/11/24(11/21横浜出港)。

わずか3日で到着している。

 

イギリスのカーリュー号が少し遅れて到着する。

この船は日本の動きを監視する役割があったよう。

 

明治政府の目的は小笠原を領有すること。

それ以前の小笠原は、

江戸幕府が短期間領有していた時期が(1862-1863)あった。

その後、1875年時点では無国籍状態であった。

 

小笠原の領有のため、

そのための調査で、明治丸は来航した。

調査団には

田辺太一・小花作助などが乗船していた。

 

「幕末外国奉行 田辺太一」(尾辻紀子)

 

扇浦海岸レストハウスそばの「小花作助之碑」

 

来島後は

島民に向けて開拓再開・領有を宣言している。

 

カーリュー号で遅れて到着したイギリス・ロバートソン領事は

異議をとなえなかった。

 

これにより、日本の領有がほぼ決まった。

翌1876年、

国際的に日本の領有が認められる。

Spirit03.pdf (anniv-ogasawara.gr.jp)

 

 

 

 

 

船の全景

 

 

左舷前方より

 

正面前方より

 

右舷前方より

 

 

 

 

 

参考

 

 

乗り物(船主体)関連

 

小笠原・父島の史跡・碑

メールでのお問い合わせはこちら

メールでのお問い合わせ

マルベリーでは、山歩き(千尋岩)、森歩き、戦跡ツアー、スター&ナイトツアー、サンセット・ナイト、歴史ツアーなどを開催しております。

    は必須項目です。必ずご記入ください。

    お名前

    ふりがな

    メールアドレス

    ご住所


    お電話番号

    お問合せ内容

    個人情報の取り扱い

    個人情報保護方針に同意し、送信する

    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

    この著者の記事一覧

    コメントは受け付けていません。


    関連記事RELATED ARTICLE

    PAGE TOP