父島に残る四五式二十四糎榴弾砲2門
目次
概要
父島にあった大砲で、
径が一番の大きいのが四五式二十四糎榴弾砲。
かつて、
大村第一砲台には4門据えられていた。
戦争末期に、2門は時雨山の方に移された。
あとの2門は不明。
時雨山の砲台2門のうち、
1門はダム工事で埋まったということ。
ただし砲身残骸が、
大根山公園に移設されている。
時雨山の砲台は、
洞窟ではなくて露天である。
砲は洞窟に隠すことはできない。
大村第一砲台も、移設後の時雨山も、
敵が見えないようなところから、
山越えで射撃するような場所に設置されている。
榴弾砲ならではであろう。
現在、
残っている2門は確認されている。
1門は時雨山に、もう1門は大根山公園にある。
時雨山
時雨山は末期の陣地に、
砲が破壊された状況で残る。
砲身残骸
砲台全景
砲台内部
砲台前方から後部方面
大根山
大根山のは時雨山から運び込まれてきたよう
こちらも砲身だけが残っている
(右は戰車の砲塔部で、榴弾砲とは関係なし)
砲身の前から
施条(ライフリング)もよくわかる
大村第一砲台跡
大村第一砲台は住宅地に変わってしまった
ほぼ何も残っていない
<豆知識>
糎はcmのことです。
二十四糎は砲身径のこと。
榴弾砲はりゅうだんほうと読む。
四五式とは、
明治45年制定の型式ということです。
見るには
時雨山は足場の悪いところにあるので、
ガイドではまず行かない。
大根山公園は自由に行ける。
戦跡ツアーでも立ち寄る。
参考
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