小笠原マルベリー

要塞神社・・陸軍要塞司令部裏の斜面上に


 

概要

 

父島西町には、

かつて陸軍要塞司令部がありました。

父島要塞 – Wikipedia

 

司令部裏にある斜面の上の方に、

要塞神社も建立されていました。

司令部裏から、

坂を上ってお参りしたものと考えます。

 

戦後、

司令部の場所は住宅地になっています。

坂の上にあった神社の場所は樹林になっています。

残っているのは

祠の基礎、石灯篭、碑などです。

 

祠の基礎や石灯篭は藪の中に残っています。

祠基礎やその周辺は

立派なブロック状の石積みで作られていました。

 

要塞神社碑は都道沿いの道端にあります。

資料によると、

戦後、下の谷にあったものを、現在の位置に運んだ、

ということです。

 

碑は、表面「要塞神社」

裏面「第十二代要・・ 陸軍大佐・・・」

これは

十二代要塞司令官は川上護大佐と推定されます。

開戦時の陸軍部隊一覧 (odn.ne.jp)

 

<碑の裏面>

 

昭和17年5月14日には、例大祭が行われています。

「14日(木):午前中は小港へ魚釣りに行く。

 要塞神社のお祭りで、大村小学校校庭で、

 兵隊の余興があって、大変に賑やかであった。」

 

亀田五三二氏の父島軍隊日誌 

亀田五三二氏の父島軍隊日誌 | 小笠原マルベリー 

 

神社の建立も、このころと推定されています。

 

なお、現在の碑の位置と神社の位置は、

谷を隔ててかなり離れてしまっています。

 

 

 

 

 

 

祠基礎・石灯籠の場所

 

祠基礎  

祠基礎や後ろの壁はブロック状の石積み

 

斜面下から階段が残っています

 

上から見下ろしたところ 

祠の前に石灯籠も残ります

 

 

 

 

 

要塞神社碑

 

表面「要塞神社」

 

裏面「第十二・・・陸軍大佐・・」

かなり文字が欠けています

 

「第十二代要塞司令官 陸軍大佐川上護」と推定します

 

 

 

 

 

見るには?

 

祠の方は藪の中で、足場も悪いので、

行くのが大変です。

ツアーで行くことはまずありません。

 

碑は道端にあるので、

前を通ったときに紹介したりします。

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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