「全一冊 小説 直江兼続 北の王国」(童門冬二)
目次
「全一冊 小説 直江兼続 北の王国」(童門冬二)
概要
1999年発行、
「全一冊 小説 直江兼続 北の王国」(童門冬二)。
全一冊 小説 直江兼続 北の王国/童門 冬二 | 集英社の本
全一冊 小説 直江兼続 | e!集英社 | 集英社の電子書籍
直江兼続、
上杉景勝の家老(参謀・片腕)として歩んだ人生。
景勝とは幼い頃からのつきあいでした。
上杉と直江の信頼関係は強固なものでした。
小説は
1582年、魚津城救援の頃(兼継23才)ごろから、
1601年、関ヶ原の合戦後の謝罪・和議あたり(兼継42才)までを描きます。
上杉景勝の領地は謙信時代からの越後でしたが、
秀吉による転封で、会津・米沢120万石となります。
(そのうち兼継の俸は米沢30万石)
さらに関ヶ原合戦のあとの謝罪で、米沢30万石と減封となります。
直江兼継は
石田三成とは厚い友情で結ばれていました。
二人は
上杉領が北の王国(東北での独立国)となる密約をも結んでいました。
そういったこともあり、
徳川家康は、関ヶ原の合戦前、上杉を攻めようとしました。
その後の、関ヶ原では上杉は動きませんでした。
(動くことで領国が攻められるリスクもありました)
結局はかなりの減封となりましたが、存続は許されました。
彼の考えの特徴の1つが、
過去を振り返らず、前途をどうするかに主眼を置いていました。
また上杉謙信を師と仰いでいました。
そういう信条のもとで
しっかりとした戦略を持ち、戦術をつくり、実行していきました。
小説では
夫人(お船)の寄与もかなりあるように描かれていました。
その結果が
秀吉からも大いに認められ、家康からは恐れられることになりました。
こういう参謀としての生き様は
現代社会にも役立つのではないかと思います。
参考