小笠原マルベリー

母島の昭和天皇「行幸碑」3基


 

概要

 

昭和天皇が行幸されたのは

昭和2年(1927)7月30日から8月1日にかけて。

 

母島は7月31日に行幸されています。

母島の行幸先は、沖村尋常高等小学校、ロース石山、

南京浜(現・御幸浜)などです。

 

母島には3つの行幸碑があります。

場所は

村役場母島支所、母島小中学校。御幸浜です。

 

それぞれの碑の正面題字は

村役場母島支所は「行幸記念」、小中学校は「御臨幸記念」、

御幸浜は「御幸之浜」です。

 

母島支所と母島小中学校は集落内にあります。

御幸浜は集落から歩くと30分以上はかかりますが、

近くまで車で行けば、あとはすぐです。

 

 

 

 

 

 

「行幸記念」碑(村役場母島支所)

 

説明板

 

正面 

文字は 「行幸記念」

 

裏面

 

文字は縦書き右から(現代文体に訳す)

「昭和2年7月31日 

 聖上行幸親しく民情を見行す

 空前の盛事にして島民恐懼泣す

 島民益々忠誠の念揺るぎなきを誓うと共に

 子孫また道を謬(あやま)らざらんことを冀(こいねが)い

 玆(ここ)に此(この)碑を建設する矣

  (矣は置字として読まない・断定の意味)

 

 昭和4年7月31日 沖村世話掛(係)猪子徹雄謹書」

  (世話掛は現在でいう村長にあたる人)

 

 

 

 

 

「御臨幸記念」碑(母島小中学校)

 

正面

字は「御臨幸記念」

 

裏面

字は「昭和2年7月31日」

 

 

 

 

 

「御幸之浜」碑(御幸浜)

 

遠景

 

正面

 

文字は

 「御幸之浜 (浜は旧字体の濱)

  陸軍大将一戸兵衛書 」

 

裏面

 

縦書きで右から

 「昭和2年7月31日

  聖上陛下南京御臨幸

  昭和4年5月27日建之(2行に分けて)

  帝国在京軍人会(2行に分けて) 母島分会」

 

 

 

 

 

 

見るには?

 

母島の3碑のうち、

村役場母島支所「行幸記念」、小中学校「御臨幸記念」は

集落内にあります。

小笠原母島観光協会|集落マップ (hahajima.com)

 

御幸浜「御幸之浜」は集落から徒歩30分ほどですが、

車・バイクなでそばまで行けます。。

小笠原母島観光協会|みる・あそぶ(個別記事) (hahajima.com)

 

マルベリーは父島専門ガイドですので、

母島でのガイドはできません。

 

 

 

 

 

参考:父島の行幸碑

 

父島には昭和天皇の行幸碑は

まちなかのお祭り広場に1つあります。

「行幸記念碑」です。

 

昭和天皇「行幸記念碑」(修復・再建)

 

歴史ツアーなどで紹介しています。

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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