小笠原マルベリー

小笠原に来なくてはいけない理由、その42「ジョン万次郎が複数回訪れた島だから」


 

概要

 

ジョン万次郎こと、中濱(中浜)万次郎。

 

実は、ジョン万次郎は作家が作品でつけた名前です。

ジョン万次郎と使ったのは、

井伏鱒二の小説「ジョン万次郎漂流記」(1937)が最初だそうです。

 

アメリカではジョン・マンと呼ばれていました。

ジョンは助けられた船の船名「ジョン・ハウランド」から。

マンは万次郎のマンでもありますが、

船での活躍で、みなから敬意を表されてのザ・マンでもあるようです。

 

「ジョン・マン シリーズ1~7」(山本一力)

 

万次郎は

小笠原にも何回か来島しています。

 

僕が調べた限りは6回は小笠原エリアに来ています。

そのうち確実な父島上陸は、3回です。

 

<ガイドブックに載っていない島案内③>(’13年投稿・’21再編集版)

 

そんな万次郎とご縁のある島です。

故郷の土佐清水、高知や東京方面は別として、

国内では縁深い島といえるでしょう。

 

足摺岬、ジョン万次郎のふるさと(2020年11月訪問)

 

でも、何も痕跡を残すものもないし、

万次郎がらみの史跡もありません。

ちょっと残念です。

 

そこで、もっとみなさんに知ってもらうためにも、

ここに取り上げることにしました。

 

 

 

 

 

咸臨丸がらみの史跡

 

咸臨丸で幕府が探検調査した際、

万次郎は通訳で同乗しています。

幕府が据えた2つの史跡は残っています。

 

江戸幕府による「小笠原新治碑」

 

奥村・漂流者冥福碑(咸臨丸墓地内)

 

 

 

本:万次郎の足跡

 

「中濱万次郎」(中濱博)

 

「漂巽紀畧 全現代語訳」(河田小龍・記、ジョン万次郎・述)

 

「ジョン・マン シリーズ1~7」(山本一力)

 

 

 

 

 

参考「小笠原に来なくてはいけない理由」

 

小笠原ならではのこと、ナンバー1、オンリー1のことを集めてみました。

 

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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