小笠原に来なくてはいけない理由、その42「ジョン万次郎が複数回訪れた島だから」
目次
概要
ジョン万次郎こと、中濱(中浜)万次郎。
実は、ジョン万次郎は作家が作品でつけた名前です。
ジョン万次郎と使ったのは、
井伏鱒二の小説「ジョン万次郎漂流記」(1937)が最初だそうです。
アメリカではジョン・マンと呼ばれていました。
ジョンは助けられた船の船名「ジョン・ハウランド」から。
マンは万次郎のマンでもありますが、
船での活躍で、みなから敬意を表されてのザ・マンでもあるようです。
万次郎は
小笠原にも何回か来島しています。
僕が調べた限りは6回は小笠原エリアに来ています。
そのうち確実な父島上陸は、3回です。
そんな万次郎とご縁のある島です。
故郷の土佐清水、高知や東京方面は別として、
国内では縁深い島といえるでしょう。
でも、何も痕跡を残すものもないし、
万次郎がらみの史跡もありません。
ちょっと残念です。
そこで、もっとみなさんに知ってもらうためにも、
ここに取り上げることにしました。
咸臨丸がらみの史跡
咸臨丸で幕府が探検調査した際、
万次郎は通訳で同乗しています。
幕府が据えた2つの史跡は残っています。
本:万次郎の足跡
参考「小笠原に来なくてはいけない理由」
小笠原ならではのこと、ナンバー1、オンリー1のことを集めてみました。
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