「緑十字機 決死の飛行」(岡部英一)
目次
概要
2017年発行、
「緑十字機 決死の飛行」(岡部英一)。
緑十字機決死の飛行 / 岡部 英一【著】 – 紀伊國屋書店ウェブストア
緑十字機 決死の飛行 | 岡部英一 |本 | 通販 | Amazon
もとは2010年、
「緑十字機 鮫島海岸へ不時着す」。
発行元は静岡新聞社だが、
著者の自費出版だそうだ。
著者は磐田市在住の郷土史研究家。
岡部英一 (緑十字機決死の飛行・一言坂の戦い)(@sera777)
緑十字機とは、
敗戦後、降伏軍使が搭乗し伊江島を往復した飛行機。
使われた飛行機は一式陸攻2機。
降伏軍使は、
伊江島からは米軍機でマニラを往復した。
そこで、米軍と交渉を行った。
この緑十字機は帰路トラブルを起こす。
1番機は燃料切れで磐田市の砂浜に不時着。
2番機は
伊江島からの出発時の牽引でトラブル。
出発が遅れた。その後の飛行は問題なかった。
本書では
それらの記録、トラブルの検証、回想・証言集となる。
関係者の並々ならぬ苦労や切迫感が
よく表現されている。
目次・内容
第1章 緑十字機、鮫島海岸に不時着す
8/15から、9/2降伏調印に至る記録。
降伏軍使の人選難航、海軍厚木基地の反乱など、
切迫した状況の中での軍使派遣。
軍使の伊江島やマニラでの様子。
緑十字機の運航の記録。
米軍の厚木到着から降伏調印、(三布告)軍政阻止、
国体護持など。
第2章 「検証」緑十字機、不時着の謎
2機のトラブルについての検証。
第3章 資料(回想録・証言集)
緑十字機搭乗員や不時着した時の関係者の回想や証言。
参考:
終戦(敗戦)はいつ?
日本人のほとんどは
1945/8/15は終戦と認識している。
しかしこれは国内に限った話。
米軍との戦闘は確かに8/15で終わっただろう。
しかし、
8/15以降のもロシアとは戦闘が続いた。
実際に、
千島列島、樺太南部、 北方領土は取られてしまった。
日本が降伏調印をしたのは1945/9/2。
これがほんとうの終戦の日。
もしこれがもっと先にのびていたら、
ロシアは北海道まで手をつけていただろう。
そんなことを考えながら読むといいかと思う。
本文でも幾度となく表現されている。
本書では9/2の降伏文書調印までの期間、
緊迫した様子がよくわかる。
三告布
降伏調印後、連合国側から出された三布告。
これが実施されれば、軍政が敷かれるところだった。
三布告とは
1号:三権の停止、公用語は英語。
2号:司法権はGHQに属する。
3号:日本円を廃し、軍票(B円)に。
この動きを知った外務省は素早く動き、
交渉の結果、阻止することができた。
(一部地域では実施)
日本政府は機能を続けることができた。
国体護持
日本の国体護持とは
天皇制を維持すること。
天皇は国家元首として、
戦争責任を問われる恐れがあった。
終戦(敗戦)交渉でも、これが重要視されていた。
しかし、結論は出ない状況で、降伏調印。
戦後早い時期に、
マッカーサーと天皇との会談が実施された。
それ以降、
天皇訴追論はおさまる。
日本の無条件降伏/終戦の詔勅 (y-history.net)
参考ブログ
不時着の場所近くの基地。
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