小笠原マルベリー

寄稿文 「ドロップアウトして訪ねた小笠原・父島で早27年」


 

寄稿文 :「ドロップアウトして訪ねた小笠原・父島で早27年」

 

概要

 

2020年5月 シルバ会発行、

北海道大学農学部森林科学科同窓会誌「シルバ」第86号、p38-41に寄稿。 

 

僕は1985年(昭和60年)3月林産学科木材化学講座卒業です。

 

 

本文:

東京からはるばる1000㎞程南にある小笠原・父島在住の吉井信秋です。

現在は島で個人事業ですが、陸域専門がイド「マルベリー」を営んでいます。

僕と妻2人が常勤で、たまに非常勤スタッフが入る程度の小さなガイド事業です。

僕が島に移住したのは27年ほど前、1992年7月末。30歳になる直前でした。

よく、「島に魅せられて移り住んだのでしょうね。」なんてツアー参加者からは聞かれます。

でも、実はそんなたいそうなものではありません。

大学卒業後に就職した会社での仕事のつらさもあり、またこのまま続けると管理職になり、

さらにやめにくくなると思い、30歳を目前にして退職しました。

それまで余り貯金はなかったのですが、夏のボーナスと退職金で、一気に150万円ほど手に入りました。

趣味でダイビングをしていたので、まずはダイビング旅行に出ようと思い、

5泊6日でしか行けなくて、今まで行ったことがなかった小笠原へ旅立ちました。

しばらくダイビング三昧で遊んでいて、

たまたま、商店から入港日の荷役のバイトのお誘いがありました。それが運のつき。

ちょっと手伝ったら、また来いとなって、ずるずるとそこで働くことに。

商店で配達・品出し・荷役などの仕事をしばらく続けました。

その後、ダイビングインストラクター資格も取り、ダイビングサービスでまたしばらく働きました。

そのころから陸の面白さにもひかれて、2000年には、現在のガイド事業を立ちあげました。

それから19年、このガイド事業で暮らしています。

陸域専門ガイドとして、日中は森・山・戦跡・歴史・景観などをガイドし、

夜もナイトツアーを催行しています。

 

ここも東京とはいえ、北海道から遠く離れた南国、

同窓の皆さんと、お会いする機会はめったにありません。

でもたまにはこんな出会いもあります。

2019年11月、道新観光さんのツアーのことです。

僕が北大卒業なのはその会社には知られています。参加者の方にも伝わっていたようです。

その参加者の中に北大卒の方がいらっしゃしました。

その方から学部(農学部)を聞かれ、学科(林産学科)を聞かれ、まさにドンピシャ。

惜しくも講座だけは違っていました。僕より一回りも上の先輩でした。

あるいは、調査研究でお越しになる先生もいらっしゃいます。

最近、森林科学分野樹木生物研究室のS博士と島で交流しました。同じ学科(林産学科)の後輩です。

 

そんな僕のことより、小笠原の紹介をしましょう。

 

小笠原は全体の総称で、小笠原という島はありません。

自治体としては小笠原村です。主要な島には家族名がついています。

父島列島には父・兄・弟・孫、母島列島には母・姉・妹・姪、

聟島列島には聟(婿)・嫁・媒(仲人)などです。

さらに、火山列島(硫黄・南硫黄・北硫黄)、沖ノ鳥島、南鳥島も、小笠原村の行政区に含まれます。

その中で戦後の有人島は2島のみで、父島と母島です。

父島は2150人程度、母島は460人程度が住んでいます。

硫黄島はかつて1000人以上の人が住んでいましたが、現在は自衛隊の基地があるのみです。

父島は小笠原の玄関口として、定期船・おがさわら丸が到着します。

母島は父島-母島を結ぶ定期船・ははじま丸が運航しています。

本州からのアクセスは船便のみ。東京・竹芝桟橋からおがさわら丸による24時間の船旅です。

おがさわら丸は父島で3泊停泊したのち、東京へ戻ります。

したがって、小笠原への旅は5泊6日の旅となります。

船は1隻のみですので、東京・父島それぞれの出港は6-7日に1回ペースです。

父・母を結ぶははじま丸はやや変則的ですが、おおむね週4往復程度運航しています。

 

小笠原は世界自然遺産登録地。2011年6月に登録が決まりました。

自然遺産は日本で4番目の場所です。

クライテリアは「生態系」で、固有種の多さや種分化などが評価されました。

僕はガイドとして、参加者に遺産価値にあたる自然も紹介しています。

島の成り立ちはかなり古くて、5000万年ほどの前の、プレートの沈む込みに端を発し、

海底噴火と、その後の隆起でできた島です。

その後ずっと絶海の孤島が続く、日本では数少ない海洋島です。

それゆえ、この島にたどり着いた祖先種から、独自の進化をとげた、多くの固有種があります。

島に生物がたどりつくには、

3つのW、すなわちWING(翼)、WAVE(波)、WIND(風)、このどれかによります。

陸上移動するものや海水に弱いものはまずたどりつけません。

そういった制限の中で、維管束植物は100種類以上の固有種があります。

哺乳類・爬虫類はそれぞれ1種だけが固有種として生息しています。

哺乳類はオガサワラオオコウモリ、爬虫類はオガサワラトカゲです。

 

自然の歴史とは裏腹に、人の定住はかなり最近です。

江戸時代、日本人に発見されたころは無人島で、巽無人島(たつみむにんじま)とよばれていました。

それゆえ、固有種の和名には、小笠原を表すムニンがつくものがいくつもあります。

英語では少し転じてBONIN ISLANDS(ボニンアイランズ)となりました。

 

人の定住は1830年にハワイから白人と現地の人とで移住してきたのが定住の始まりです。

日本の関与は、江戸時代、漂流者がたどりついたり、幕府が2回の探検調査をしたりしたくらいで、

幕末の探検調査で一時的に領有する形をとりましたが、すぐ取りやめになりました。

実質は1876年、明治政府によるものからです。

日本人の移住もそれ以降です。初期のころは、八丈島などの伊豆諸島からの移住者が多かったようです。

外国からの先住者は、それ以降、日本に帰化していきました。

 

ここで、小笠原ならではのものをいくつか紹介します。

 

まずは自然。自然遺産になったくらいですからいろいろあります。

動植物は固有種がたくさんです。

その固有種の多くには、和名の頭にムニン・オガサワラ・シマなどがついています。

維管束植物は100種以上の固有種があるので、

山地の方に行けば、ごく普通に固有種の樹木が生えています。

石を投げれば固有種にあたるというくらいです。

地形も国内ではあまり見ない枕状溶岩があちこちに露出しています。

亀の甲羅のような模様です。これは、海底火山の噴火で水中に出てきた溶岩が急冷されて、

表面の性質が変わり、積み重なっていったものです。

地質には、世界的にもレアな無人岩(ムニンガン)もあり、

そこには単斜エンスタタイトというこれまたレアな成分が含まれています。

海に目を向けると、何と言っても鯨類です。

小笠原の観光として主要な位置を占めています。かつては捕鯨も行われていた小笠原です。

1980年代末にはホエールウォッチングが始まっています。

小笠原でよくみられる鯨類は

マッコウクジラ、ザトウクジラ、ハシナガイルカ、ミナミハンドウイルカの4種です。

ちなみにイルカ・クジラはサイズによる便宜的なもので、同じ鯨類です。

4種のうち、ザトウクジラだけは回遊性のため、11月から5月が小笠原で見られる期間です。

このクジラはかなり島の近くに来るので、山の展望台からもウォッチングができます。

イルカ2種のうち、ハシナガイルカは船上観察ですが、ミナミハンドウイルカはスイム対象になっていて、

いわゆるドルフィンスイムができます。

 

戦跡もたくさん残っています。太平洋戦争中、小笠原の兵力は40000人以上でした。

その中で、硫黄島が戦場になりました。

父島・母島などは空襲・艦砲射撃を受けましたが、上陸戦はありませんでした。

戦争末期、日本軍は潜むための穴を掘って洞窟陣地を多数作りました。

戦後、米軍占領が長く続き、洞窟陣地があったところも、森林化して山中に埋没していき、

いまだにそこに据えていた大砲が残っています。

もう国内ではそういうところはまずありません。普通は戦後すぐに大砲は撤去されています。

 

次は食文化。代表的なものは島寿司とアオウミガメです。

島寿司は伊豆諸島や大東島に共通の文化が広がっています。

ネタを漬けにしたにぎり寿司です。小笠原ではネタはカマスザワラで、薬味は洋がらしです。

もう1つは、アオウミガメ。都の規則で135頭の捕獲が認められています。

普通、1頭当たり100㎏以上あります。現在、国内でアオウミガメの捕獲は小笠原だけです。

代表的な食べ方は刺身と煮込みの2つ。

胸のあたりの肉を刺身にします。その他のあらゆる部位は煮込みにします。

やや味にクセがあるので、必ずしも美味とはいえませんが、

かつては貴重なたんぱく源であり、スタミナ源であったようです。

今は小笠原でしか食べられていないアオウミガメですが、

古くは遠洋航海する欧米などの船の食糧源ともなっていたくらいです。

いまでもフランス料理ではアオウミガメのスープがメニューにあります。

 

芸能文化で言えば、歴史も新しいので、

周辺の島とのかかわりで持ち込まれたオリジナルをアレンジしたものが伝えられています。

小笠原太鼓は八丈太鼓からの流れ。

南洋踊りは行進踊りのようなものがマリアナから伝わりアレンジされたもの。

古謡も日本からのものより、マリアナからのものが好んでうたわれています。

また、現在ではフラやスチールパンも盛んです。

学校行事にも、特徴のあるものがいくつかあります。

父島は保育園・小・中・高が1つずつあります。

父島の運動会は小・中・高連合運動会。これは国内的にもかなレアです。

昼食後の応援合戦は高校生の独壇場。女子のチアと男子の応援団。見ごたえががあります。

4月の入学式は同じ日に小・中・高の順に時間差で行われます。

保護者や来賓は順に梯子する人も出てきます。さすがに卒業式はそれぞれ別な日です。

南の島ですので、海の行事もあります。小・中は夏に遠泳大会があります。

小は400ⅿ、中は1㎞です。高校は、夏の体育がウィンドサーフィンです。

小・中の総合学習は小笠原の自然・文化が学年ごとに設定され、まさに小笠原学です。

僕は長年、小4の総合「小笠原の植物」を指導しています。

6-7日に1回の船便だと、中・高の修学旅行も長旅で、計10泊ほどとなります。

旅先は中学は京都・奈良、高校は北海道などです。

通常の旅行の日程プラスして、東京で学校や企業訪問、芸能鑑賞、ディズニーランド訪問などがあります。

 

こういった小笠原ならではは、島の生活自体も、船便に合わせた独特のものがあります。

でも、意外と都会的(東京的)なところもあります。

地元登録の車は品川ナンバー(伊豆諸島もですが)。

しゃべる言葉も、もともと移住の島ですし、返還(1968年)後の移住も多いので、ほぼ標準語です。

住宅も返還後のものばかりで、新しい感じがあります。

住んでいる人自体も、返還後の移住や異動のある公務員の比率がかなり高いです。

 

こういう島で27年住み、故郷のように、そしてのどかに、暮らしています。

今後、どうなるかは自分でもわかりません。        終                       

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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