小笠原マルベリー

故永島辰次郎君碑文(旧大根山墓地)


 

故永島辰次郎君碑文(旧大根山墓地)

 

概要

 

この永島辰次郎碑は旧大根山墓地内にあります。

初代ナサニヨル・セーボレー墓のすぐ近く。

永島辰次郎、

この人物の名前さえ知っている島民は少ないことでしょう。

タコノ葉細工の説明では、名前があがることがあります。

永島氏の来島は明治19年(41歳)です。

その頃すでに欧米系の人がタコノ葉細工をやっていました。

それを普及改良に努め、工芸品にまで質を高めました。

 

永島氏が亡くなったのは明治43年9月13日です。

享年66歳です。

 

この碑は

当時の島司(今の小笠原支庁長)高崎襄氏が書いたものです。

碑の年月日は大正6年11月13日です。

 

この碑はありますが、

墓はこの島にあるのかどうか分かりません。

 

 

 

 

碑文

 

「故永島辰次郎君碑文」の概要は、

「永島辰次郎は東京神田佐久間町で1844年7月11日生まれ。

 明治19年(1886年)に小笠原に来島。

 欧米系の人が作るタコノハ細工を見て、粗雑だったので、

 改良に取り組み、10数年で、新たな手法・技術を確立した。

 今あるタコノハ細工はこの手法・技術によるものである。

 明治31年(1898年)西町に永島工場を作った。

 以後、内外に販路を広げ、小笠原手芸品の首位にまでさせた。

 その後も品評会などで章を受けたりした。

 病で、明治43年(1910年)9月13日亡くなった。

 友人知人で大村(大根山)墓地に墓を建て葬った。

 彼の仕事を引き継いでいるのが村岡常吉である。

 村岡は大橋淳蔵・緑川市之助と相談して、碑を建てることにして、

 碑文の依頼があり、概要を述べた。」

 

 大正6年11月13日 謹撰 高崎襄

 

 

 

碑の様子

 

碑全景

 

「故永島辰次郎碑文」の部分

 

 

ナサニエル・セーボレーの墓

 

 

 

見るには?

 

旧大根山墓地の中にあります。

説明板もないのでわかりにくいです。

また訪れる人もほぼないようで、藪になっている時期もあります。

 

ナサニエル・セーボレーの墓からはすぐです。

 

リクエストがあれば、歴史ツアーで訪れます。

 

歴史・史跡ツアー

 

 

 

参考:タコノハ細工

 

これは、長女が学校で作ったもの(2011年)

千尋が総合で作ったタコノハ細工: 

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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