小笠原マルベリー

父島の戦跡(大戦初期)に残る石垣の構造物


 

 

概要

 

国内戦跡の構造物材料は、

明治時代はレンガ積み、

それ以降はコンクリートと変遷があります。

 

国内各地の戦跡

 

しかし、

父島の大戦初期の構造物は石積み(石垣)のものが

いくつかあります。

 

こういう構造物の素材の違いについては、

あちこちまわっていないと気づかないことかと

思います。

 

石積みだと、攻撃を受けたら、

強度的にひとたまりもなく崩れるように思いますが?

 

父島の石積みについては、

はっきりとした理由は分かりません。

コンクリートの材料が、

不足してたいたのかと想像しています。

 

大戦前に作られた施設(大村第二砲台)では、

ブロック状の石積みの建物も残っています。

 

では、実際のものを紹介します。

 

 

 

 

高射砲砲台

 

 

石積みの砲台

 

コンクリートのひさしつき 

 

土台部分

 

夜明山戦跡群

 

 

 

建物

 

 

発電機を入れていた建物

 

内部はコンクリートと鉄板

 

 

夜明山陸軍高射砲隊・・発電室(発電機室)

 

 

 

発電車車庫

 

 

 

 

 

照空灯射光場

 

片側は石積み

 

父島の照空灯(探照灯)3ヵ所

 

 

 

 

大村第二砲台弾薬庫(作業場)

 

 

      

ここは大正末期からの工事。ブロック状の石積み

 

大村第二砲台跡

 

 

 

 

海軍通信隊本隊・受信所貯水槽下

 

貯水槽の下の斜面は3段の石垣

 

父島海軍通信隊本隊・受信所遺構(小笠原中学校裏)

 

 

見るには

 

いずれの場所も戦跡ツアーで訪れます。

 

戦跡ツアー

 

希望があれば、

大村第二砲台跡は島内観光でも訪れます。

 

自然景観(島内観光)ツアー

 

大村第二砲台跡

 

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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