父島の戦跡(大戦初期)には石垣の構造物がいくつか
父島の戦跡(大戦初期)には石積みの構造物がいくつか
概要
国内戦跡の構造物材料は、
明治時代はレンガ積み、それ以降はコンクリートと変遷があります。
しかし、
父島の大戦初期の構造物は石積み(石垣)のものがいくつかあります。
石垣の砲台は珍しいかも?: マルベリーの日記&小笠原情報箱 (seesaa.net)
こういう構造物の素材の違いについては、
あちこちまわっていないと気づかないことかと思います。
強度的には、石積みだと、
攻撃を受けたら、ひとたまりもなく崩れるように思いますが?
父島の石積みについてははっきりとした理由は分かりません。
コンクリートの材料が、不足してたいたのかと想像しています。
大戦前に作られた施設(大村第二砲台)では、
ブロック状の石積みの建物も残っています。
では、実際のものを紹介します。
高射砲砲台
石積みの砲台
コンクリートのひさしつき砲台 土台の部分は石積み
土台部分
建物
発電機を入れていた建物
内部はコンクリートと鉄板
発電車車庫
照空灯射光場
片側は石積み
大村第二砲台弾薬庫(作業場)
ここは大正末期からの工事。ブロック状の石積み
ツアーでは
いずれの場所も戦跡ツアーで訪れます。
希望があれば、大村第二砲台跡は島内観光でも訪れます。
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