會田醇蔵之墓・・咸臨丸墓地内
目次
概要
咸臨丸墓地の一角にある
會田醇蔵(会田醇蔵・あいだじゅんぞう)の墓。
曾田醇蔵は
平野船壱番丸(一番丸)の所有者・平野廉蔵の弟です。
旧姓・平野呂市とされます。
文久二年(1862)3月25日、「平野船」で来航。
同年6月7日死亡。
平野廉蔵は新潟の富裕な廻船業者でした。
「南進」する人びとの近現代史 小笠原諸島・沖縄・インドネシア [ 後藤乾一 ]:
1863年、
ジョン万次郎はこの平野船壱番丸で捕鯨を行っています。
この墓の建立は
明治10年(1877年)とずいぶん後です。
理由は不明です。
ただし、
亡くなった直後に墓は作られていたようです。
となると、この墓は再建されたものと考えられます。
墓の様子
説明文
墓地全景
會田の墓は冥福碑の後列にあります
會田の墓は、後列、西川の墓の左隣
墓正面
正面:會田醇蔵之墓
右:文久2年6月7日死
左:明治10年6月建之
右:文久2年6月7日死
左:明治10年6月建之
再建された墓と思われます
見るには?
奥村夜明道路沿いにあり、道路沿いに看板もあります。
自由に見学できます。
歴史ツアーで訪れます。
景観ツアーで立ち寄ることもあります。
史跡参考