會田醇蔵之墓・・咸臨丸墓地内
目次
概要
咸臨丸墓地の一角にある
會田醇蔵(会田醇蔵・あいだじゅんぞう)の墓。
曾田醇蔵は
平野船壱番丸(一番丸)の所有者・平野廉蔵の弟。
旧姓・平野呂市とされる。
文久2年(1862)4月2日、
幕府役人員として「千秋丸」で来航。
同年6月7日死亡。(死因は不明)
この墓の建立は
明治10年(1877年)とずいぶん後である。
理由は不明。
ただし、亡くなった直後に墓は作られていたよう。
となると、
この墓は再建されたものと考えられる。
平野簾蔵について
平野廉蔵は新潟の富裕な廻船業者。
前述の通り、平野船壱番丸の所有者。
1863年、
ジョン万次郎はこの平野船壱番丸で捕鯨を行っている。
墓の様子
墓地全景
會田の墓は冥福碑の後列にあります
會田の墓は、後列、西川の墓の左隣
墓正面
正面:會田醇蔵之墓
右:文久2年6月7日死
左:明治10年6月建之
右:文久2年6月7日死
左:明治10年6月建之
再建された墓と思われる
見るには?
奥村夜明道路沿いにあり、道路沿いに看板もある。
自由に見学できる。
歴史ツアーで訪れるが、
各種ツアーで立ち寄りも可能。
史跡参考