小笠原マルベリー

小笠原に来なくてはいけない理由、その49「おもな島名は親族名」


 

 

概要

 

小笠原群島の主要な島は親族名となっている。

発見のはじめからつけられたわけではない。

 

まずは、1593年、

小笠原貞頼が小笠原を発見したという伝承がある。

それゆえ、総称は小笠原とよばれる。

 

しかし事実に基づく発見のころは、

無人島<むにんし(じ)ま>、ないしは、

巽(辰巳)無人島<たつみむにんし(じ)ま>、

とよばれていた。

*巽(辰巳)=南東の方角

巽 – Wikipedia

 

現在、小笠原の主な島は親族名がついている。

正式な命名は、幕末(1862年)からであるが、

それ以前にすでにつけられていた。

 

では、

その島名は誰がいつ命名したのであろうか?

 

1675年(延宝3年)、

幕府が派遣した巡検隊(船頭は嶋谷市左衛門)により、

命名されたという説がある。

しかし、

当時の絵図にはそういった島名は出てこない。

matsuo2.pdf (nagasaki.lg.jp)

ja (jst.go.jp)

 

下記の説の方がより信憑性がある。

 

1720-30年代、

貞頼の子孫と名乗る人物が提出した書類には、

貞頼の発見や親族名の島名のことが記載されている。

 

「幕末の小笠原」(田中弘之)では、

こちらの命名説が取られている。

 

「幕末の小笠原」(田中弘之)

 

小笠原諸島をめぐる世界史(松尾龍之介)

 

日本人は実際に訪れていると、

特徴などをあらわす島名をつけるといわれる。

兄弟親族名になるのは

地図上や空想で名づけられた可能性が高い。

 

そう考えると、貞任は島には行ってないので、

貞任命名説がより妥当に思える。

(要精査必要)

 

貞頼の子孫と名乗る貞任は

人物詐称で江戸から重追放となった。

 

そのため、

小笠原に関することは事実とはされなかった。

しかし、小笠原の名称は今に至って残った。

 

正式に名付けたのは

文久元年-2年(1862)、水野忠徳隊長の探検のころである。

 

このころから、

小笠原は日本が領有することとなった。

(すぐに中断し、のちに明治政府が再開)

 

小笠原の概略紹介

 

小笠原の歴史については下記参照。

Spirit03.pdf (anniv-ogasawara.gr.jp)

 

 

 

 

 

 

 

親族名称

 

小笠原群島は3つのエリアに分かれる。

北から聟島列島、父島列島、母島列島となる。

 

主要な島には親族名がつく。

 

聟島列島は、他家から親族になった系で、

聟島(むこじま)、媒島(なこうどじま)、嫁島。

(媒は他人であるが)

 

父島列島は男性系で、

父島、兄島、弟島、孫島。

(孫は父島列島にあるので男なのだろう)

 

母島列島は女性系で、

母島、姉島、妹島、姪島(めいじま)。

 

 

媒は他人であるが、

聟と嫁のあいだにおさまる。

 

孫は生別不明だが、

父島列島あるので、男だと思われる。

 

これらの島の中で

僕が未訪問の島は姉、妹、姪島の3つ。

(今後もなかなか難しいと思う)

 

 

 

 

 

 

訪問できる島

 

戦後有人島で、定期船のある島は、

父島と母島の2島のみ。

この2島は自由に往来できる。

 

それ以外の島は、

通常、観光での上陸はできない。

(海岸をのぞく)

規制は森林生態系保護地域の制度による。

入林申請と許可が必要。

 

例外として、聟島がルートとして認められている。

しかし、

遠方のため、不定期のツアーがあるのみ。

(かなりしっかり計画しないと上陸は難しい)

 

 

 

 

 

 

訪れた島のブログ記事

 

マルベリーレポート集

 

父島主要観光ポイント

 

父島旬情報 | 小笠原マルベリー (ogasawara-mulberry.net)

 

ボランティア除草作業で兄島へ(’21/2/6)

 

村役場主催「弟島視察会」(’22/11/23)

 

母島都道(北進線10km・南進線4km)全約14㎞: マルベリー

 

聟島(むこじま)上陸記録(’22/6/9・視察会の下見)

 

媒島視察(2019-2-19): マルベリー

 

 

 

 

 

 

 

参考

 

小笠原ならではのこと、

ナンバー1、オンリー1のことを集めてみた。

 

小笠原に来なくてはいけない理由

 

 

マルベリーでは歴史ツアーを開催している。

基本は入港日午後と出港日午前の半日ツアー。

入港中中日の半日はグループなど限定。

 

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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