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扇浦
小笠原神社(新・旧)小笠原神社
天照大神を主神とし、
伝承で島の発見者とされる小笠原貞頼も
合わせ祀られる
現小笠原神社は扇浦海岸からすぐ
旧小笠原神社跡は大滝山中でわかりにくい
(指定ルート外) -
扇浦
貞頼先神の碑貞頼先神の碑
貞頼以前の先祖の神を祀ったもののようです。
扇浦海岸からすぐ
扇浦神社裏手 -
扇浦
「小笠原開拓碑」「小笠原開拓碑」
明治政府による、
開拓の意義や歴史的経緯説いたもの。
扇浦海岸からすぐ
(小笠原神社そば) -
扇浦
「小笠原新治碑」「小笠原新治碑」
幕末、幕府が開拓に入ったときに、
開拓の意義を説くために設置した碑
小笠原神社そば
(扇浦海岸からすぐ)
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扇浦
「にほへ碑」「にほへ碑」
文久2年、
原又吉(幕府役人)による筆塚。
入植した子供たちに読み書きを教えた
小笠原神社そば
(扇浦海岸からすぐ) -
扇浦
「小花作助之碑」小花作助之碑
小花の功績をたたえた碑
小花は3度にわたり来島。
幕府・明治政府の現地での実務を支えた
扇浦レストハウス前 -
吹上谷
「吹上橋」吹上橋
境浦から扇浦へとつながる旧道にある橋
昭和5年10月架橋
農道からすぐ
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大滝
「大滝旧陸軍病院戦没者名」碑「大滝旧陸軍病院戦没者名」碑
陸軍の野戦病院で亡くなった人を弔う
129名の名簿
巽道路沿い -
小曲
「野山羊供養塔」「野山羊供養塔」
野山羊供養塔は、
東京都猟友会野山羊駆除隊員一同によるもの。
当時の会長は福田篤泰氏です。
亜熱帯農業センターからほど近い山中
(場所はかなりわかりにくい)
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東町大神山
大神山神社大神山神社
天照、春日、八幡などの神が祀られる
大神山は中心集落のすぐ裏山
神社は大神山公園と一体なっていて
標高50mほどのところにある。 -
東町大神山
「大神山神社 御復興記念碑」「大神山神社 御復興記念碑」
1968年返還ののち、
御神霊がもとの場所に遷座したのが1972年。
遷座の日は、1972年(昭和47年)10月27日。
大神山神社社殿前に建立 -
東町大神山
「鏑木余三男君之碑」「鏑木余三男君之碑」(大神山)
鏑木余三男氏の功績をたたえるもの。
島民による建立とのこと。
鏑木氏は小笠原島庁の技師だった方で、
水産業振興に尽力された。
大神山公園西入口からほど近い展望地に建立。 -
東町大神山
「冥福」碑(漂流者冥福の碑)「冥福」碑(漂流者冥福の碑)
1906年(明治39)3月11日に、
母島で遭難した人の冥福を祈念するもの。
大神山公園西入口からほど近い展望地に建立。 -
東町
「ペリー提督来航記念碑」「ペリー提督来航記念碑」
1996年
ニューポート市との友好を記念しての建立
大神山公園コミュニティ広場(都道側)
波止場や青灯台からすぐ -
東町
昭和天皇「行幸記念碑」昭和天皇「行幸記念碑」
1927年7月末、戦艦山城で来島。
7/30父島、7/31母島を視察された。
戦禍で、上半分はなくなり、のち修復再建。
お祭り広場道路沿い -
西町
上皇・上皇后「行幸啓記念」碑上皇・上皇后「行幸啓記念」碑
1994根2月12-14日行幸啓
父島は2/13に視察
お祭り広場道路沿い -
東町
ラドフォードスクール跡地ラドフォードスクール跡地
米軍占領下の学校
説明板とポール・紋章が残る
(当時の学校の位置とは少し違う)
大神山公園内お祭り広場 -
西町
「福田篤泰先生之像」「福田篤泰先生之像」
小笠原協会による建立
福田氏は政治家として小笠原返還に尽力を
初代小笠原協会会長
都道行文線沿い -
西町
要塞神社碑陸軍要塞神社碑 (西町道路沿い)
祠基礎はふもとの林内にある
碑のみ見学可能(祠基礎は藪の中・足場悪し) -
西町
父島海軍航空隊壕と慰霊碑父島基地分遣隊内にある、
父島海軍航空隊壕と慰霊碑
海上自衛隊の通過許可必要。
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大根山
「小笠原村郷心者慰霊碑」「小笠原村郷心者慰霊碑」
戦没者だけでなく、
小笠原で亡くなった方々を弔うもの。
大根山墓地公園内
(道路からすぐ) -
大根山
海軍第二魚雷艇隊戦没者之碑と父島戦没者慰霊観音海軍第二魚雷艇隊戦没者之碑と
父島戦没者慰霊観音
第二魚雷艇隊は19名が戦死
父島戦没者慰霊観音は
大西滝次郎氏(軍令部次長・自決)の夫人が、
戦後、総持寺で入魂し、建立したもの。
大根山墓地公園内
(駐車場からすぐ) -
大根山(旧大根山墓地)
ナサニエル・セボレーの墓碑ナサニエル・セボレーの墓碑
1830年、最初に定住した人たちの代表格。
アメリカ生まれ
旧大根山墓地内
道路からすぐ
碑の場所は案内もないので、ややわかりにくい -
大根山(旧大根山墓地)
「故永島辰次郎君碑文」「故永島辰次郎君碑文」
永島は、タコノハ細工を普及改良に努め、
工芸品にまで質を高めました
旧大根山墓地内
道路からすぐ
碑の場所は案内もないので、わかりにくい -
大根山(旧大根山墓地)
「大橋淳蔵之碑」「大橋淳蔵之碑」
大橋は永島辰次郎碑建立にかかわった。
それ以外の情報はほぼない。 -
清瀬・奥村
二見岩二見岩・二見港
幕末のころに命名
赤灯台付近
二見漁港から続く防波堤沿い
(立ち寄り可能) -
清瀬
「緑蠵亀人口ふ化放流事業発祥の地」碑「緑蠵亀人口ふ化放流事業発祥の地」碑
小笠原支庁が建立
アオウミガメ人口ふ化放流事業は1910年開始
1911年から1939年まで放流が続けられた
清瀬信号付近 小笠原水産センター内にある -
清瀬
「小笠原島司阿利君紀功碑」「小笠原島司阿利君紀功碑」
阿利孝太郎氏は、
明治29年から20年以上、島司をつとめた方です。
行政のかなりの機能を統括していたようです。
清瀬信号付近(駐車場はナシ) -
清瀬
海軍第二百九設営隊戦没者之碑「第二百九設営隊戦没者之碑」
表面の文字はほぼかすれて見えない。
裏面には
「昭和20年11月24日建之」の文字。
同隊の方が、
戦後、引揚げる前に立てたのであろう。
清瀬信号付近(駐車場はナシ) -
清瀬
「鎮魂」碑「鎮魂」碑
東電社宅内に建立
米軍占領下、
若い男女の拳銃自殺を弔うもの
社宅敷地内のため、居住者に確認のこと -
西町村役場前
「小笠原村平和都市宣言」「小笠原村平和都市宣言」
戦時中、硫黄島は戦場になりました。
そういった経緯もあり、不戦と恒久平和をを誓う宣言。
’22/1月末、村役場前に移設 -
奥村
咸臨丸墓地「咸臨丸墓地」
咸臨丸乗組員「西川倍太郎」の墓のほか、
復数の墓や碑が建立される
中央部には漂流者冥福碑がある
都道夜明道路 奥村の山すそ
見学は自由 -
奥村
漂流者冥福碑漂流者冥福碑
1862年、江戸戸幕府により建立
1669-1740ごろにかけて、把握されていた、
漂流者の名が刻まれる
奥村夜明道路沿い -
奥村
朝陽丸水主の墓朝陽丸水主の墓
朝陽丸が小笠原に向かう2回目の航海中、
コレラで亡くなった3名の墓。
奥村夜明け道路沿いにある咸臨丸墓地の一角 -
奧村
藤森圖高(藤森図高)の墓と碑「藤森図高墓」
東京府小笠原出張所初代所長
在任中に病死
「藤森図高之碑」
藤森の死後、藤森を顕彰するために建立された
墓は奧村・咸臨丸墓地の一角に。
(道路からすぐ)
顕彰碑は扇浦・小笠原神社付近。
(道路から5分、道がわかりにくい) -
奧村
西川倍太郎墓(咸臨丸乗組員・越前国大野藩士)「西川倍太郎」墓
小笠原巡検中、父島で亡くなる。(自死)
奧村・咸臨丸の墓地の一角
(道路からすぐ) -
奥村
會田醇蔵之墓「會田醇蔵之墓」
平野船持ち主・平野廉蔵の弟
小笠原来島中(1862年)に亡くなる
奧村・咸臨丸の墓地の一角
(道路からすぐ)
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奥村
「柳生久丘之墓」「柳生久丘之墓」
勧農局出張所の農夫だった人。
来島から半年ほどで亡くなる。
奧村・咸臨丸の墓地の一角
(道路からすぐ) -
奥村
「離年道帰信士」墓「離年道帰信士」墓
俗名は兼五郎、浅野兼五郎のことである。
1878年(明治11)7月2日病死。
浅野兼五郎は、船大工として、
1877年(明治10)11月11日来島。
(享年、病名は不明・要調査)
奧村・咸臨丸の墓地の一角
(道路からすぐ) -
奥村
「弔緒英士之霊」碑「弔緒英士之霊」碑
大日本海洋少年団が昭和九年十月に建立。
建立の意図は、訪問地において、
「海外の士となった我が国先駆者の霊を弔う」
奧村・咸臨丸の墓地の一角
(道路からすぐ) -
奥村
「大東亜戦争海軍戦没将兵之碑」奥村にある「大東亜戦争海軍戦没将兵之碑」
碑のまわりを墓がかこむ。
道路からすぐ。 -
奥村
小笠原諸島戦没者追悼之碑「鎮魂」小笠原諸島戦没者追悼之碑「鎮魂」
戦没者を追悼
24000人以上が亡くなる
奥村運動場脇 -
奥村
製氷工場跡地製氷工場跡地
戦前、日東製氷(現ニチレイ)の製氷工場があった
2009年取り壊された
その後、ニチレイがレリーフを設置した
海洋センター奥にある
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夜明山・宮之浜道
二宮尊徳像二宮尊徳像
夜明山のものは
首が切られて、首なし尊徳といわれています。
道路沿いにあります。
宮之浜道のものは
小笠原中学校敷地内にあります。
学校内のため、見学は中学の許可が必要 -
宮之浜道
むし塚むし塚
1983年建立
ミカンコミバエ防除が実施され、その供養の碑。
都立大施設脇にある
ミカンコミバエ最侵入警戒調査室裏手。
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東町・西町
アオウミガメ・レプリカアオウミガメレプリカ
実物大の金属製レプリカ
大神山公園お祭り広場にある -
宮之浜
日米海底電信線日米海底電信線
100年以上前に設置されたもの
本土からつながり、
さらに小笠原からグアムにつながっていた
宮之浜で泳げばすぐにわかります
地上部のものはわかりにくい -
人丸島(父島北部の島)
人丸島
柿本人麻呂ににている岩があり、命名
船でしか近くには行けない
電信山方面から遠望 -
父島山中各所
陸軍標石「父島要塞地帯標」陸軍標石「父島要塞地帯標」
父島の要塞地帯を示す標石
位置づけごとに第1から第3まである
山中各所に残る
ルート沿いで見られるのは中山峠にあるもの -
父島各所
宗教関連施設父島には
神社2、キリスト教会1、寺1、墓地3(新1、旧2)
などがあります。
父島各所
(大神山神社をのぞき道路からすぐ)
大神山神社はは坂道を上り徒歩10-15分
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父島各所
父島の戦跡島内各所に残る。
(夜明山は特にまとまって残る)
山中が多いので、山道を歩くことがメイン。 -
<番外>母島
昭和天皇「行幸碑」母島 昭和天皇「行幸碑」
3碑あり、
村役場前、母島小中学校前、御幸浜にある
村役場・母島小中学校は集落内。
御幸浜は集落から徒歩30分 (車で近くまで行けます) -
<番外>聟島
「岩崎亀五郎之墓」戦前、聟島に住んでいた岩崎亀五郎氏の墓
聟島・南浜近くの中腹にあります。
観光での上陸はほとんどありません。 -
<番外>硫黄島
「行幸啓記念」碑(上皇・上皇后)上皇・上皇后(天皇・皇后のとき)、
1994年2月12-14日にかけて小笠原行幸啓。
(2/12が硫黄島)。
2か所の碑を確認。
観光での訪問はできない島。 -
<番外>南鳥島
「日本最東端」碑南鳥島にある
「日本最東端」碑
観光で行くことはできない